きちんと調べたわけではないが、内田吐夢は、日本の映画監督で最初に巨匠と称された人だと思う。『限りなき前進』、『土』などで戦前、すでに大監督になる。
だが、日活が大映になる過程と、彼自身の戦時下の「戦意高揚意識」への共感の中で目標を見失い、ついに満映に行ったのは、1945年3月だった。
1945年8月の敗戦後、帰国する者とは別れ、中国に残り映画製作の指導をしたのは、戦時中の自己の戦争への加担の贖罪意識もあったのだろうと私は思う。
そして、1953年に帰国した彼が最初に作ったのが1955年の東映京都での時代劇だった。
今見ると、黒澤明の『用心棒』以前の時代劇の雰囲気で、江戸に上る武士島田照男と従者の加東大介、そして槍持ち片岡千恵蔵の道中が、非常にのんびりと描かれる。
そこには、娘を売るために来た老人の横山運平、小商人だが実は泥棒の進藤英太郎、謎の人物の月形龍之介らが同道する筋書きで、庶民の生活が描かれていく。
その間に、島田の祖先が徳川家康から拝領した槍が実は偽物であることがわかったり、進藤が暴れた時、片岡以下の一同が捕縛して藩から表彰される。だが、何もなくただの表彰状一枚だけなど、封建制下の統治の非人間性が表現される。
だが、それは本当に江戸時代のことかと思うとそうではないだろうと私は思うのだ。むしろ、こうした問題性は、昭和初期の政治のことなのではないかと私は思うのだ。
最後、ある宿場町で、島田と加東が一緒に酒を飲んでいると、酔った武士の一団が乱入してきて、「下郎が武士と一緒の席で酒を飲むとはけしからん!」と言い争いになり、島田と加東の二人は切り殺されてしまう。
そこに片岡千恵蔵が来て、武士相手に大立ち回りを展開し、全員斬り殺してしまう。中では槍が酒樽に刺さり、酒がこぼれての泥水の立ち廻りは、『女殺油地獄』だろう。
最後、殺人を起した片岡千恵蔵に対し、「当藩には、下郎に斬られる侍はいない」と無罪放免の宣告。
千恵蔵は、二人の遺骨を首に下げて江戸に向かうが、そのバックには『海ゆかば』のコーラス。ここには明らかに内田の戦争への贖罪意識がある。
さらに、ここで表現された、人間に上下はなく、武士も庶民も一緒に生きていこうという内田吐夢の考えは、果たして今の日本できちんと共有されているのだろうかと思う。
福田元財務次官事件を見ると、「女性記者など下衆下郎(めろうだろうか)という意識があるのだ」と思う。「あの程度の言葉(遊びとは思えないが)を問題にすることは問題だ、俺様は偉いのだ」という意識が根底にはあるのだと思える。