『洟をたらした神』

1978年に公開された神山征二郎監督作品。原作は、大宅ノン・フィクション賞をもらった吉野せいで、脚本は新藤兼人である。いつもはしつこくて私は苦手の新藤脚本だが、淡々と冷静に進行するのは、原作の力だと思う。

話は、明治、大正、昭和を通じる福島安達太良山の荒地を開墾する貧農夫婦で、主人公は風間杜夫、妻は樫山文枝。

風間は農民だが詩人でもあり、つらい農業をしつつ文学活動をする生活を至上のものと考えているが、当時の「民衆派詩人」がよくわかる。喜びは、苦しみの果てに得られるという思考法で、今はほとんど絶滅している。

時代の経過がよくわからないことが欠点だが、一つ分かるのが長男が流行のヨーヨーを欲しがるシーンで、これは昭和8年ごろのことである。

2銭の代金がないと母親に言われると、長男は松の木のコブでヨーヨーを作ってしまう。ともかく次から次へと7人の子供(1人は幼児で死亡)ができ、「女性は子供を産む機械」との説は正しいようにさえ思える。彼は昭和19年には甲種合格で徴兵されて会津若松の連隊に入営するが、戦後無事戻ってくる。

かつて肉体労働で開墾した農地を三男が耕運機で耕しているのを見つつ、風間は脳梗塞で倒れ死んでしまう。

大きく育った子供たちを見つめる樫山文枝の姿で終わり。

当初、これはテレビ東京で連続ドラマにする予定だったが、監督たちが福島の原発問題を入れようとして問題となりテレビはだめで、近代映画協会の自主製作となった。

今考えれば、その方が意義があったと思えるだろうが。

日本映画専門チャンネル

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