携帯小説は、文化民主主義か

午後、『やし酒飲み』の第二回目のミーティングをやり、今回新たに参加してくれた人の内、二名が携帯小説を書いている、とのことだった。
私は読んだことはないが、大人気の携帯小説は巷の評判ではとてもひどいらしい。
だが、内容はともかくとして、私はこうように文化・芸術の分野で、その表現者が爆発的に増大することは、とても良いことだと思っている。

20世紀から21世紀になり、一番大きな世界の変化は、ソ連の崩壊に見られるように、独裁体制の消滅、世界中での民主主義革命の進行だった。
だが、そうした中で、唯一残ったのが、「文化貴族主義」だった。
文化・芸術と言うものは、一部の才能あるエリートが作り、表現するもので、有象無象の一般人が表現などするのはけしからん、という考え方である。

だが、それは近年急速に変化しつつある。
カラオケが、日本や世界の人間に、歌を歌うことの楽しさを教えたように、インターネットは、物を書くことが、読むことよりも百倍も面白いことをみんなに教えた。
「他人の歌など、馬鹿らしくて聞けるか、自分で歌った方がよっぽど楽しい」
同様に、書くことも、このブログをはじめ、自分で好きなことを書くほうがはるかに楽しい。
そうなれば、小説に波及するのは当然なのだ。
昔、カラオケが流行し始めたとき、カラオケで歌い易い歌が流行したが、いつの間にか、だがすぐに消えてしまった。
同様に、携帯小説も、次第に淘汰されて行くに違いないと私は思う。
そのとき、本当の「文化民主主義」が定着するに違いない。

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