市会での葬式

近年、非常に大きく変わったのは、葬式だろうと思う。
特に、会社や地域、団体で行われる葬式は、根本的に変わったと思う。
簡単に言えば、小さくなった。
私が、横浜市で入ったのは、市会事務局だったので、議会の議員や家族の葬式に動員された。
最初に手伝ったのは、南区の自民党の谷田部巳男三郎という人の葬式で、南区の小学校の校庭でやった。
ただ、この人は、自民党でも主流派ではなく、役職も務めていなかったので、そうは大きくなかった。

次は、相当に大きなもので、議長の川口正英さんの母親が亡くなられた時で、庶務課の職員が全員出て瀬谷の川口家に行き、受付から、記帳台、香典返しまでやり、経理担当者が香典の全部計算して川口家に渡した。
今考えれば、大変に問題のあった仕事ぶりだが、誰も問題だとは思わなかった。
川口家は、後に、正英さんの息子川口正寿さんも議長になり、その資産は大変なもので、瀬谷駅から屋敷までの全部が川口家の土地だと言われていた。さらに、中華街のような山下町にも土地を持っているとのことで、大資産家だった。
だが、現在は、土地は処分されて福祉施設になっているとのことだ。

次は、元市会副議長を務めた社会党の大島議員が亡くなられた時だった。
庶務課長、係長と一緒に鶴見の大島さんの家に行ったが、奥さんはけんもほろろで、「そちらで勝手にやってくれ」という態度で私は、びっくりした。
帰りのタクシーで係長から聞くと、大島さんは、日本鋼管労組の出身で社会党で最初に市会の副議長になった立派な人だった。だが、偉くなって頃から、若い女性と同棲していて、死んだのもその女性の部屋で、死んで戻って来たので、奥さんは怒り心頭だったのだ。社会党員でも人間偉くなれば、別の女性はできることはあるもので、仕方ないことなのだろうか。
別に、やはり社会党の女性議員で、この人も市会副議長をやった方がいた。
教員出身で、市会議員になり、立派な方だった。だが、この人の場合は、夫が別の若い女性と同棲するようになったとのことで、世の中は難しいものだなと思ったものだ。

ともかく、職場、親戚、地域等で、葬式があったときは、以前は手伝いに行ったものだが、近年はほとんどないだろうと思う。
その代わりに増えたのが、葬祭ホールで、横浜にも多数ある。

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