『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』

言うまでもなく2年前に亡くなられた米原万里の小説集、随分前に買ったが、やっと読んだ。
3本の小説が載せられているが、いずれもプラハのソビエト学校で知り合った世界各国の女性との物語。
米原は、日本共産党幹部だった米原いたる氏の娘で、世界共産党の理論研究所「平和と社会主義の諸問題」に日本代表として父が勤務していたため、プラハの学校に入る。
米原氏が、東京都の参議院議員選挙に出たのは、私が大学1年の時で、ごりごりの反共主義の英語教師が彼のことを云々したことを憶えている。このときは、落選したはずだ。

「両親は人民を搾取する資本家と戦っている」と言いながら、豪邸に住み富裕な生活を享受しているルーマニアのアーニャとの話が一番面白いが、他の話も極めて興味深い物語である。
社会主義という「世界史の壮大な実験」が起こした悲喜劇。
まるで、ジェーン・ホンダとバネッサ・レッドグレーブとの名作『ジュリア』のような再会がある。
そして、米原万里の妹ゆりが、劇作家井上ひさし氏と結婚していることは有名だろう。

米原万里の講演を1度だけ聞いたことがある。
横浜市の外郭団体に出向していたとき、その全国組織の会議が名古屋であり、同時通訳者として有名だった彼女がゲストとして講演した。
なかなか面白かったと記憶しているが、最も印象的だったのは、共産党員である彼女の父親が褌を使っていたという話だった。
考えれば、私の父も褌だったように思う。
私の父は、54歳のとき脳梗塞で一度倒れたのだが、少なくともそのときまでは、褌だったと思う。父は、学校に勤務するときは勿論背広だったが、家に戻ると必ず着物に着替えていた。その習慣は、死ぬまでかわらなかったと思う。
外では洋服、家では着物というのが習慣だったようだ。
明治生まれの日本の男子は皆そうだったのだろうか。

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