新歌舞伎の「新」はどこにあるの

国立劇場で、久しぶりに歌舞伎を見る。
今月は、新歌舞伎3本で、『頼朝の死』、『一休禅師』、『修善寺物語』
だが、どれも「どこが新歌舞伎なの」という大袈裟な芝居だった。

新歌舞伎とは、明治末から戦前にかけ、岡本綺堂をはじめ、真山青果、さらには谷崎潤一郎や菊池寛らの作家によって書かれた歌舞伎劇で、市川佐団次らのイプセンなど、西欧の近代劇の影響を受けた役者によって演じられた。内容的には、一言でいえば、大正ヒューマニズムであり、大体が岡本綺堂の『鳥辺山心中』のように、憂鬱な青年の感じだった。
言うまでもなく、旧来の歌舞伎の形式主義、大袈裟な芝居を拝して、よりリアルな心理的な劇を作ろうとする運動だった。三島由紀夫の歌舞伎劇も、新歌舞伎に入れる人もいるようだ。

だが、この日の2本、『頼朝の死』も、『修善寺物語』も、どちらも大声で台詞を言い、おおげさな思い入れで演技する、まるで「旧歌舞伎」だった。
唯一、救いだったのが、『修善寺物語』で、頼家を演じた中村錦之助で、声がとてもよかった。
この人は、かの錦之助の息子なのだろうか、将来性を感じさせる役者だった。
と書いて、調べると先代の中村時蔵、すなわち親父時蔵の大名跡を継ぐと、すぐになくなってしまった、中村錦之助の兄の中村時蔵の次男、つまり萬屋錦之助から見れば、甥になるのだそうだ。

さすがに戦後の名優中村錦之助、そして萬屋錦之助の血を引く者だけのことはある、と思った次第。
しかし、新歌舞伎が、旧歌舞伎になっているということは、本来の歌舞伎は、いったいどうなっているのだろうか、少々不安になった。

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