『血は太陽よりも赤い』

ピア・フィルム・フェスティバルの一環として若松孝二特集があった。
若松は、今で言えばインデペンデントの開拓者の一人だろう。
1966年公開の本作は、寺山修司が絶賛したとのことだが、それもそのはず、脚本寺山修司、監督篠田正浩、加賀まり子主演の大傑作『涙を、獅子のたて髪に』にそっくりの構図なのだから。

高校生の主人公は、受験生だが、新宿の遊び仲間とも付き合っている。当時の新宿のジャズ・ビレッジ等がロケで使用されている。西口はまだ地下広場が工事中である。
この辺りの若者の描き方は、後に日活ニューアクション時代の『野良猫ロックシリーズ』の雰囲気をもっとチープかつリアルにした感じである。

脚本は大谷義明だが、助監督の足立正生だろう。
主人公は、不良仲間との乱交パーティー会場のマンションで、実兄の妻が、社長と密会しているのを目撃し、高校生活に嫌気がさす。
また、好きあっていた同級生の女の子は、父親が社長の麻薬横流しを指摘したことから首になり、高校を中退する。
社長は笠間雪雄、首になる社員は真弓田一夫というテレビに良く出ていた脇役の俳優。

最後、主人公は高校の先輩で横浜のヤクザに半ば騙されて真弓田を殺してしまい、娼婦になった同級生と再会する。
そこで主人公は誓う、すべての大人を機関銃で殺してやる、と。
「太陽よりも赤くなるんだ!」

この頃の若松映画には、こうした反体制的言辞が飛び交い、当時は劇作上のことと思っていたが、一部には本当にアジテーションし、信じていた者もいたわけだ。
足立正生である。
彼は、赤軍派に入り、アラブにまで行ってしまった。
赤い太陽は、アラブの砂漠の太陽の赤さなのかもしれない。

例によって、パートカラーで、セックス・シーンになるとカラーになるが、男女は裸になり、抱き合ってもほとんど体は動かない。
この頃は、まだ映倫が厳しくて、「体が動くとわいせつ」としてカットされたからのようで、きわめて不自然な性表現になっている。
男女の体が動くようになるのは、70年代の日活ロマンポルノ以降のことだ。

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