大町正人氏、死去

先週、神奈川新聞には出ていて、今週は各紙にも出ていたが、元ボニー・ジャックスのテナー大町正人氏が亡くなられた、73歳。
誰に紹介されたかは、憶えていないが、多分私がパシフィコ横浜にいて、1991年のオープニング・イベントの「ウォーマッド横浜」を準備していた頃だと思う。
話してみると、コーラスのみならず、ジャズや他のポピュラー音楽にも興味を持たれていて、かなり意外な気がした。
1991年夏のウォーマッド横浜の1回目の開催のときは、彼も実際に会場の臨港パークに来られ、ロシアの4人組テレム・カルテットなどを
「大変珍しい楽器編成だ」と、気に入られた様子だった。

彼は、日本、横浜でのコーラスの一層の普及に尽力されていて、数年後、パシフィコ横浜に国立大ホールができたときには、念願の世界の児童のコーラスの大会を大規模に実施されたはずである。

正直に言って、私はコーラスの持つ、優等生的きれいごとが好きになれないが、彼の情熱は理解しているつもりだった。
最近、あまり活動されていないようだったが、2003年頃から体調を崩されていたようだ。
日本のポピュラー音楽史で見れば、1950年代後半に、コーラス・ブームと言うのがあり、ボニー・ジャックスのほか、ダーク・ダックス、デューク・エイセス等がテレビでも大活躍した。

この3グループは、よく知られているように早稲田、慶応、立教の各大学の合唱団の出である。
大町さん自身も「コーラス・グループの中で、ゴルフをするなど、互いに付き合っているのは、この3グループのみで、後はどうもね・・・」と自分たちの優越性を匂わしていた。
私が、彼のすることに同調できなかった理由は、多分その辺にあったのかもしれない。
「自分たちは、芸能界の人間ではない」との。

横浜の音楽文化の向上へのご功績に対し、ご冥福をお祈りする。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする