『ディス・イズ・ボサノヴァ』

1950年代、ブラジルのリオデジャネイロの少年カルロス・リラとホベルト・メネスカルはギター教室を開き、自分たちが好きなジョニー・アルフ、アントニオス・カルロス・ジョビンらの音楽を追いかけていた。
次第にディツク・ファーニーのファン・クラブや、後にボサ・ノヴァの女王と呼ばれるナラ・レオンの家等で様々なミュージシャンが交流し、そこにはついにジョアン・ジルベルトがやってきて、革新的なギター奏法「バチーダ」をもたらす。
そして、ついにジョビン作曲、ビニジウス・ヂ・モライス作詞の『思いあふれて chega de saudade」がエリゼッチ・カルドーソから録音される。
ボサ・ノヴァは、1960年代のブラジルの青春であり、若さが本当に美しい。
この頃、リラやメネスカルは、まだ20代だったのだ。
アメリカ進出により、世界的ヒットになる。
ボサ・ノヴァの日本での紹介は、高校生だった私も良く憶えているが、当時はジャズ・サンバと言われたと思う。
彼らがジャズの愛好者だったことは事実だが、ボサ・ノヴァはジャズ・サンバではない。
サンバそのものなのだが、そこについてもしつこい位出てくるが、当然だろう。
日本では、ジョアン・ジルベルトの妻アストラッドの歌で有名だった『イパネマの娘』。
ブラジルではアストラッド版は出ていなくて、私がポルトガル語を習ったイレーネ・松田先生によれば、アストラッドの『イパネマの娘』などブラジルでは聞いたことがなかったそうだ。

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