岩田弘、死去

一部の新聞に出ていたが、経済学者の岩田弘が亡くなったそうだ、82歳。
岩田弘と聞いて分かるのは、多分60半ば以上の人だろう。
新聞にも「マルクス経済学者で、全共闘運動に影響を与えた」と書いてあったが、1960年代中頃は、かなり有名なイデオローグだった。

当時、立正大学経済学部の教授で、マルクス経済学、殊に宇野経済学左派と言われていた。
岩田は、名古屋大学時代は、日本共産党員で、1952年の大須事件の被告でもあり、その後東大経済学部大学院で、宇野弘蔵の弟子鈴木鴻一郎に学び、『世界資本主義論』を書き、評判になった。
そこでは、20世紀初頭にレーニンが言った帝国主義の時代を経て、資本主義は必然的に世界資本主義になるという説を立てた。
社学同マルクス主義戦線派が彼の理論を採用し、マル戦派は、東京で1965年頃は東大経済学部、早稲田の文学部の自治会を取るなど、大いに勢力を拡張させたが、その理論的支柱が、岩田弘だった。

だが、1967年秋の羽田闘争以後、運動が過激化する中で次第にマル戦派は、置いてけぼりになり、過激派ではなくなる。
岩田弘自身も、一時は実際の運動にも参画したようだが、このところは実践活動からは遠く退いていたようだ。

彼の理論も過激派の運動もほとんどは間違いだったと思う。
だが、良く考えるとギリシャ危機に象徴される世界的な資本主義の危機は、岩田弘が言った「世界資本主義論」そのもののようにも見える。
その意味では、先駆的だったのだろうか。

平和的に畳の上で死ぬ「革命家」とは、一体なんなんだろうか。
これも日本が本当に平和だということなのだろうか。

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