官僚制そのものだった日本軍 『昭和の名将と愚将』 半藤一利・保阪正康(文芸春秋新書)

先週、「Down Beat」のイベントが行われた黄金町のたけうま書房の100円コーナーで買った本。

元は、雑誌「オール読物」で対談したときのもので、二人とも昭和史、陸海軍についての著書を多数出され、実際に多くの軍人にインタビューされているので、内容はきわめて濃くて面白い。

名将と書かれている人には、私が知らない人もいた。

宮崎繁三郎と小野寺信などだが、宮崎は、明治大学の総長にもなった法学者宮崎繁樹の父で、戦後は下北沢で瀬戸物屋をやっていたというのが面白い。

全体に、いろいろな軍人が出てくるが、それは私が40年間、横浜市役所で見聞きした人たちの容貌と非常によく似ている。

要は、大日本帝国陸海軍は、まったくの役所であり、きわめて硬直した官僚機構だったということだろう。

様々な失敗、錯誤、誤謬等々は、今も国や地方の官庁で起きていることとまったく同じで、実に日本は戦前、戦中、戦後も変わっていないのだなと思う。

その点、戦時中のアメリカは、軍の要所に民間人を積極的に登用したようで、その点は大統領が最高司令官も兼務していたことによる機動性、柔軟性だろう。

統帥が一元化されているので、大統領が決めれば何でもできるということになるが、日本では軍政と軍隊の指揮である統帥が分かれていたので、一元化はできなかったのである。

東條英樹が、その弊害をなくすため、一時陸軍の参謀総長も兼務したことがあったが、「これでは東條幕府だ」と言われて、ついには総理大臣辞職の原因になってしまう。

日本では、歴史的に鎌倉時代以降、政治軍が分離していたので、統一することには非常な抵抗があったわけである。

       

愚将は、誰でも知っている辻政信が筆頭で、常に声の大きい、威勢の良い男だったようだが、たしかにこういう人間はどこにでもいて、周りの者に迷惑だけをかけているものである。

辻政信は、戦後も生き残り、参議院議員に上位で当選(当時の全国区は、個人への投票だったので、有名人が当選できた)してたのだから、日本人は何を考えていたのだろうか、結局日本人はこういう「いけいけどんどん」的な人間が好きなのだろう。

彼は、ベトナム戦争の頃、白い僧侶姿に身を変えて、インドシナ半島に行ったときの彼の写真は、当時小学生の私も憶えているほど有名なものだった。

ひどく自己宣伝の強い男だったのだろう。こういう無責任な人間が、ノモンハンからガダルカナルの戦争を作りだしていたのだから実に恐ろしいことだ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする