貴族の遊びからの民主化の流れのなかで

ソチ・オリンピックが行われているが、オリンピックとその元であるアマチュア・スポーツは本来、欧州の貴族階級のサロンの遊びだった。

大学の授業で習ったが、スポーツは本来プレイと同じ語源だそうである。

そうしたサロン間の国際的な交流の場として、オリンピックが始められたので、長い間、肉体的行為を職業としてする人、実態として下層階級の人間は、排除されていた。

日本が最初にオリンピックに参加したヘルシンキ大会の日本の予選では、走ることを職業とする人力車夫、郵便配達人などは参加資格がなく、大学生がマラソンに出た。

さて、1970年代からはプロ科が進み、誰でも実力があれば出られるようになった。

と同時に、テレビの放送権料の獲得とスポンサーをたくさん付けるために「新スポーツ」も導入され、スノー・ボードやモーグル等が導入された。

これらは、誤解を恐れずに言えば、かなりの部分で「あんちゃんスポーツ」であり、その態度が問題にされる事件も起きた。

確かに、数回前の冬季五輪での若者たちの振舞いは正直に言って愉快ではなかった。

しかし、こうしたスポーツの貴族からあんちゃん層への移行は、一種の「民主化」であり、それはそれで良いのではないかと思う。

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