すでに旧聞に属することだが、ローザンヌ・バレー・コンクールで日本の若者たちが上位に入賞した。
以下は、暴論なので、その分割り引いて読んでもらいたい。
私も娘二人が町のバレー教室に通っていたので、よくわかるが日本でバレーほど、公的な援助がなくてやってきたジャンルの芸術はない。
歴史的に見ても、そのほとんどが、パトロン、関係者、両親等の支えによってかろうじて成立しているのである。
だから、日本の一流のバレーの公演に行っても、その雰囲気は独特で、
「私たちは、みなさんのご援助でやっています」という雰囲気がみなぎっていて、だから私は大好きなのである。
極論すればそれは、
「俺たちは大芸術家だ、俺様たちの大芸術を謹んで聞けよ」というクラシックの公演とはまさに正反対である。
日本では、国立大学にその学部がある芸術ほど世界の水準からみれば大したことがない、というのが私の偏見で、クラシックや絵画がその例だと思う。
映画とバレーが国立大学の学部がない分野だったが(映画については最近東京芸大の大学院にできた)、これは共に世界で大きく評価されている。
クラシックでも、武満徹や伊福部昭のように、正規の音楽教育を受けていない人が世界で評価されているのも偶然ではないのだろうか。