先週、黄金町のシネマ・ジャックで週末までだというので、『ハンナ・アーレント』を見に行く。
アルゼンチンでアイヒマンがモサドに捕まり、イスラエルに送られて裁判にかけられる。
これは非常に大きく報道されたもので、当時小学生の私でも知っていたくらいだ。
また、この時期はナチスや第二次世界大戦についての関心が高まった時期で、映画でも『13階段への道』や、先日亡くなったマクシミリアン・シェルも出ていた『ニュールンベルグ裁判』も作られ、高い評価を得た。
ハンナは、アイヒマン裁判の傍聴記を雑誌『ニューヨーカー』に書くため、イスラエルに行く。
そこで見たアイヒマンは、小柄な風采の上がらない小役人風の男で、ユダヤ人の大量虐殺に関わった「鬼」のような人間には見えなかった。
そのことをに『ニューヨーカー』発表すると、米国を始め、母国ドイツでも、大きな批判が起こる。彼女は、ナチスを賛美していると。
アイヒマンは言う、「私は命令されたことをただやっただけで、良心の問題は感じたが」と。
この辺は、日本人の我々には少々わかりにくいところだろう。
命令されたことをやったのがなぜ問題なのか。
1950年代に、政治学者丸山真男は、東京裁判でのA級戦犯の態度と証言を見て、そこに「天皇制下の無責任体制」を見た。
そこでは、誰にも責任がなく、命令されたことをやっただけなので、誰も良心の問題で苦しむことはなかったのである。
最終的に戦争に責任があったのは、統帥権という軍隊の指揮命令権を持っていた天皇にあるはずだったが、米国は最初から天皇は東京裁判に掛けないことに決めていた。
戦争に突き進んで行く政治体制に天皇は政治的責任はなかったが、戦争を指揮したのは明らかに天皇であり、戦争の結果に天皇に責任はあったはずだが。
このように、占領軍が昭和天皇を免責したことによって、戦後の日本は「無責任体制」になったわけである。
1960年代に植木等が歌った『スーダラ節』と主演映画『日本無責任時代』は、その意味で戦後を象徴する作品となった。
さて、『ハンナ・アーレント』に戻れば、騒然たる批判のなかで彼女は、大学の教壇で批判に答える公開の討論をする。
その結果は、ドイツ以来の友人ハンス(どうやら共産主義者らしかったが)を失うものとなる。
ハンナの友人の小説家でメアリーという女性が出てきたが、これはと思うとやはり『グループ』等の作品がある小説家メアリー・マッカーシーだった。
この辺は、字幕でメアリー・マッカーシーと入れてほしかったところだ。