紅葉丘の県立図書館の跡には県立高校を

神奈川の県立図書館を考える会で、「紅葉丘の県立図書館を関内の横浜市役所の移転跡地に」と提案し、提言にも取り入れられた。
では、県立図書館の跡は、どううするのか。
以前は、民間特養ホームのような福祉施設が良いと思っていた。
だが、歴史を考えれば、ここは県立高校が良いのではと考えを変えたので以下に説明したい。

その理由は、もともとこの地域のすぐ下には、県立Ⅰ中があった。
そこは、黛敏郎や小此木彦三郎、さらには元横浜市大学長で、横浜市図書館長も務められた梅田誠先生らも卒業された県内一の名門校だった。
だが、昭和20年5月の空襲で焼失し、県立Ⅰ中は旭区に移転し、戦後希望ヶ丘高校になったのである。
そこで、紅葉丘の県立図書館の跡には、希望ヶ丘高校などの高校を再移転させるのが良いと思う。
ただ、学校設置基準の校庭の広さ等の問題もあると思うので、現在の前川国男デザインの現状を大きく変えることはせず、高校3年など一部の校舎とするのが考えられますが、いかがでしょうか。

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