国敗れて山河あり、国栄えてドラマなし

水上勉追悼特集を横浜のシネマ・ジャックがやっていたが、『雁の寺』『越前竹人形』、『越後つついし親不知』『五番町夕霧楼』、『沙羅の門』『続・図々しい奴』、『湖の琴』『波影』、『あかね雲』『はなれごぜおりん』そして今日の『飢餓海峡』と大体見た。

この内、『雁の寺』『越後つついし 』『波影』『はなれごぜ 』そして、言うまでもなく『飢餓海峡』は見ていたが、かなり見ていないものもあったのでとても参考になった。

『飢餓海峡』は別格として,中では川島雄三の『雁の寺』、久松静児の『沙羅の門』、篠田正浩の『あかね雲』が良かった。

そして、全体を通低するものは、「貧困」である。
日本がかつて覆われていた絶対的な貧困、飢餓、差別といったものが大きなドラマを生み出している。
さらに、『雁の寺』の主人公の小坊主の出身地が、丹波の乞食谷であり、『飢餓海峡』の主人公・三国連太郎の生地もそうしたものであるところを見ると、どうやら被差別部落の問題を暗示しているようだ。『飢餓海峡』の主人公、犬飼太吉・樽見京一郎は部落出身者であろう、と昔評論家の竹中労が唱えたことがあるが、確かにそうした感じはある。バックの御詠歌も実にぴったりの音楽(富田勲)であった。伴淳三郎の老刑事がやはり良いね。こういう味の役者はもういない。伴淳は、撮影中監督の内田から「お前は戦前の下っ端役者の時から少しも上手くなっていないね」とずっと罵倒されて演技したのだそうだ。内田も伴淳も戦前に、関西の弱小映画会社で仕事をしてきた連中なのだ。
そして左幸子。すごい役者である。て

さて、今日日本はバブル崩壊とはいえ、大変豊かである。飢餓、貧困といった現象は消滅してしまったようだ。と同時に大きなドラマ、劇もなくなったように思える。
できる悲劇と言えばは、あの『永遠の仔』のようにトラウマという内面の傷がせいぜいなのだろう。それは、果たして本質的に幸福なのか不幸なのか。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする