1963年に松竹で作られた作品、原作は獅子文六の小説で、脚本は白坂依志夫、監督は井上和男。
主演は元新劇女優でテレビで売れている女優・森光子で、そのヒモのごとき美術家は川津裕介。
その間に、劇団の若手女優として加賀まり子が現れ、当然のごとく川津と出来てしまい、彼は森光子の豪華マンションを去る。
ここに、加東大介、宇佐美淳也、柳家小さんらがやっている、可否、つまりコーヒーをきく会のことが絡んでくる。森はコーヒー淹れの天才的な上手だったからだ。
このコーヒーをきくという表現が面白い。香道でも香りを嗅ぐ場合、きくというからで、多分岩田豊雄は、そのことを知っていて書いたのだろうと思う。
この連中が、ききコーヒーをしているところなども非常に可笑しいが、森や川津、さらに劇団の連中が、二言目には新劇の純粋性とテレビ出演の堕落を言うのがおかしい。
当時、すでに「新劇の純粋性などは」バカバカしいことだったに違いないが、獅子文六が書いたものだと思うと、ある種の感慨がある。
なぜなら、ユーモア小説家獅子文六は、文学座の創立者の3幹部の一人、岩田豊雄であるからである。
メロドラマ作家として白坂が、加賀まり子の研究生仲間として中川弘子が出てくるなど、お遊びが多く、本来そうしたお遊び映画なのだ。
さらに軽薄テレビ作家として青島幸男も出ている。
もっと面白くなるだろうというところが少しも弾けないのは、監督の井上和男の性である。
井上は、「井上蛮」と言われ、バンカラで真面目な作風の監督だったからである。
こうした傾向の作品の監督といえば、松竹では古くは川島雄三、さらに川島の師匠の渋谷実がいたのだが、渋谷はこの時は病気で無理だった。
その渋谷も再起し、張り切って作った『モンローのような女』が失敗作で、続編を撮る予定だった篠田正浩は、この試写を見て、
「続編はないな」と脚本の白坂と言い合った。
これの前に見た桜井秀雄監督で、寺山修司原案という不思議な映画『この広い空のある限り』については、HPの「ジャンルの垣根を越えて」に書いたので、ご参考までに。
神保町シアター