『河のほとりで』

日本映画専門チャンネルの星由利子追悼特集、「星由利子が裸になった」として話題になった作品だが、初めて見た。

二つのことを感じた。一つは、1962年頃は日本映画の黄金時代だったこと。もう一つは、1962年頃と、戦前の1930年頃は共通の性格を持っていたこと。

大阪から羽田に戻る飛行機のなかで、会社重役らしい山村聰と淡島千景が隣の席に着く。

山村と淡島は、戦前に結婚したことがあるが、淡島の又従妹で、三人とも仲が良かった草笛光子と山村ができてしまい、略奪されるようにして山村は、淡島と離婚し、草笛と結婚したのだった。

淡島は、加東大介と結婚し、熱海で旅館をやっていて息子の加山雄三は城東大学生で、ラクビー部の選手、妹は桜井浩子で、加山の同僚でチビデブは小川安二。また、旅館のマネージャー役が池内淳子で、加山の筆おろしをしているが、最後に結婚する男が小林桂樹。

山村には、やはり城東大生の星由利子と高校生の田辺靖男がいて、星は、「文学部のバラ」とよばれている。山村の田園調布にある家は、元はある藩の家老の家系で、そこには元お殿様だが今は何をやっているか正体不明の東野英次郎が出入りしている。東野は、バーの女・乙羽信子と長年同棲して彼女に食わせてもらっている。東野と乙羽が正式に教会で結婚式を挙げることになり、その牧師は有島一郎、妻でオルガン弾きが沢村貞子で、ここは笑わせてくれる。

「親同士がどうあろうとも、自分たちは自由に付き合う」という、加山雄三と星由利子が恋愛に行くことが示唆されて終わる。

ここには、小林、淡島、草笛、加山、池内、有島、乙羽、星のようなスター。すぐに東宝の合理化で首になる小川安二のような大部屋。若手の桜井や田辺、新劇系の山村、東野、そして沢村など。それぞれの多彩な俳優が適材に配置されて、豊かな世界を作っていたこと。

だが、1960年代中頃以降の撮影所の合理化で、大部屋俳優は解雇され、古手の監督、スタッフも首になり、中堅・若手はテレビに行かされる。一部は、義理がたい三船敏郎の情で三船プロの職員になり、三船プロは過剰員員になる。中には小川安二のように、家業の不動産業で成功し、1993年に映画『虹の橋』を製作した者もいる。

前にも書いたが、日本映画の最盛期だったのは1962、63年頃だったとあらためて思った。

そして、興味深いのは、山村が最初に淡島と結婚したのは、昭和10年頃で、草笛とできて離婚、再婚したのもそのころと推測される。これは、昭和初期が「暗い時代」ではなく、多彩な大衆文化が花開いた西欧的な時代だったことである。当時なくて今あるのは、テレビとネットくらいであり、他は全部あったのである。

これは、小津安二郎監督の1957年の『東京暮色』を想起される。

そこでは、笠智衆の妻だった山田五十鈴は、原節子と有馬稲子の子を作るが、銀行の部下の若い男とできて朝鮮、そして中国に行ってしまう。この3人の関係は、千葉泰樹監督の『河のほとりで』と逆になっているが、同じテーマであることが極めて興味深い。

このことは、敗戦を経て、1960年代の日本が、かつての1930年代と同様の大衆社会になったことを意味しているのだと思う。

ちなみに、星由利子のヌードは当然にも吹き替えであり、少し太った女優に見える。

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