多治見と言えば 梶本投手

猛暑列島の中で、多治見市の名が出てくる。この多治見と言えば、梶本隆夫投手である。

梶本は、多治見工業を出た阪急の投手、米田、梶本と右と左の両エースで、当時は非常に弱かった阪急で数少ないのスター選手だった。長身の左腕で、非常にきれいなフォームの投げ方で、通算254勝している。

だが、彼は大変に心のやさしい人で、緊張した場面は苦手だったようだ。

後に、阪急が西本監督の下で日本シリーズにも出たが、巨人の長嶋には非常に弱くて、いつもカモにされていた。

阪急では上田が辞めた後、監督を務めたが、まったくだめで2年で首になったと記憶している。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする