ドキュメンタリーの映像作家で、岡村淳さんがいる。
故牛山純一の映像記録にいてテレビドキュメンタリー作品を作った後、1987年からブラジルに住み、ブラジルをはじめ中南米の優れたドキュメンタリーを作られている方である。
彼の友人が、拙書『黒澤明の十字架』を岡村さんのところに送られ、読んだ感想を次のように書かれている。ご本人のご了解も得たので掲載しておく。
「御著は自分でうまく言語化できない疑問に大きな指針を提示してくれた快著でした。
映画評論とはこういうことなのだなこうあるべきなのだな、と教えていただきました。」
褒めすぎではないかとも思うが、少なくとも映画『静かなる決闘』でのテーマと三船敏郎の苦悩の意味、「あそこに黒澤は何を込めたのか」を真面目に考えていた人には、有効な示唆を与えるものだったと思う。
現在では、あの三船の真実を言えない苦悩には、黒澤明が戦時中に徴兵されず逆に戦意高揚映画『一番美しく』を作ったことの贖罪意識、その上に梅毒で子供を3度も死産させてしまい、最後は女給と心中してしまう兄黒澤丙午への思いもあったと思っている。
つまり、『静かなる決闘』で、共に梅毒になってしまう三船敏郎の医者と植村謙二郎のヤクザのような男は、黒澤の兄丙午から想起されたものである。
苦悶するが正しい治療をして立ち直ろうとするのは、黒澤にとって、そうなって欲しかった理想の兄の姿である。
一方、放蕩無頼な生活を送り、梅毒治療をきちんとせず、妻中北千枝子には、奇形児を産ませてしまい、自分は発狂してしまう植村謙二郎が演じた田中という男は、実際の兄である。
この二つの男の姿は、27歳で死んでしまった、若手人気映画説明者須田貞明として活躍していた兄黒澤丙午の表と裏なのである。
また、黒澤丙午の感じは、残された写真を見ると、若い頃の三船敏郎に大変に良く似ている。
れは片岡一郎さんのサイトにあったもので、その肖像写真はややとぼけた感があるが、『黒澤明 夢の足あと』に載っている写真ではもっと鋭く精悍な顔付きである。
だから、映画『酔いどれ天使』で、三船敏郎を発見した黒澤明は、同時に三船の向こう側に、亡き兄黒澤丙午の面影を見出したのではないだろうか。
そう考えれば、『生きる』以外の黒澤作品で、ずっと三船敏郎を作品の主人公として使ったことの意味も大いに理解できると私は思うのだが。