脚本家で、監督でもあった犬塚稔氏が亡くなられた、106歳。
サイレント時代には長谷川一夫の代表作『稚児の剣法』等、多数の作品を監督されているが、なんと言っても特筆すべきは、『不知火検校』など戦後大映での脚本家としての活躍だろう。
勝新太郎の代表作『座頭市物語』を子母沢寛の短編というより、わずか1頁の掌編をシナリオにし、日本映画を代表する大ヒット・シリーズ座頭市の原型を作った。
その後、座頭市シリーズではかなりのシナリオを書いている。
晩年には、執筆委嘱されたシナリオをめぐって勝プロとも訴訟になったが、ご高齢にもかかわらず大変元気で、勝プロに対し一人で戦い賠償金を取ったらしい。
彼の本を読んだことがあるが、なかなか他人に厳しい方で、同僚だった監督衣笠貞之助を機会主義の低劣な人間と書いていた。
確かに、戦前の前衛的な作品から、戦後は東宝スト等での共産党への同調的な姿勢、さらに大映との契約など、衣笠はよく言えば時代に即応した、悪く言えば世渡りの上手い人間であろう。
ともかく日本映画に偉大な貢献をされた106歳のご冥福をお祈りしたい。