川崎、蒲田の映画街は、美須興業が経営していたが、それ以外の映画館も結構あった。
一番は、銀柳会通りの端にあった川崎国際劇場だろう。2館あって、邦画と洋画だったが、私が行ったころは、邦画の非常に古いのと最近の名画的なのとのをやっていて、ここでは長谷川一夫の『伊那の勘太郎」を見た他、随分前だが高橋治の松竹時代の『七人の刑事』を見たことがある。数年間に見た中平康監督の『地図のない町』には、この映画館が出て来て、自分の作品『狂った果実』を上映していた。
もっと海に近い方には追分映画劇場と言うのがあり、邦画3本立てで、内藤洋子の映画を見に行ったが、本当に場末と言う感じの町だった。
内藤洋子は、川崎で人気があったようで、ミス・タウンのパチンコ屋の二階にあった銀星座は、東映のチャンバラが多かったが、内藤洋子作品も多かった。
田中小実昌さんは、「この辺は内藤洋子ファンが多いのか」と書かれていた。ここは、横浜の大勝館と同じく「ボヘミアン」の観客が多く、雨の日は彼らの体臭で館内が臭くなるので参ったことがあり、なるべく雨の日は行かないようにしていた。
川崎駅には駅ビルシネマがあり、基本的にATG系で、黒木和雄監督の『祭りの準備』のとき、竹下景子を共産党文化人オルグ役の劇団の先輩の斎藤真さんが犯すシーンがあり、思わず「斎藤さん!」と言ってしまった。
ここでは、後に日活ロマンポルノも上映していて、大島渚は、田中登の『実録・阿部定』を見に来て、「ポルノではなくもうこうなったらハード・コアしかない」として『愛のコリーダ』を作る決意をしたそうだ。
先日、テレビで放映していた米戦闘機が零戦と遭遇する『ファイナル・カウントダウン』もここで見たように思う。
1970年代は、今考えると日本映画はまだ全盛時代で、ピンク映画もあり、日活ロマンポルノと併せると、2館あり、ストリップ劇場もあったのは、さすがに川崎は労働者の町だったと思う。