本当は黒川紀章だった

横浜の新横浜に「横浜アリーナ」があるが、あれを初め設計したのは、今日亡くなられた黒川紀章だった。
だが、その設計は、多重構造の床を大型エレベーターで繋ぐといったもので、構造上も運営上も大変問題があるとのことで、当時の細郷市長以下横浜市幹部のお気に入られず、結局採用されなかった。
そして、初めから竹中工務店が設計をやり直し、今は東大教授で当時は都市計画局課長だった北沢氏らが全面的に参加・協力して現在の横浜アリーナができた。

勿論、黒川氏は怒り、そのため彼はその後横浜市では一切仕事をしていない。
彼の師匠である丹下健三氏が、横浜美術館を作ったのとは対照的である。
黒川氏の死去を聞き、ご冥福をお祈りしつつ、昔のエピソードを思い出した。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする