華国峰元主席死去

華国峰中国共産党元主席が死んだ。87歳。
1979年に上海で「横浜工業展覧会」が開催され、私も市代表団の一員として上海に行ったときの最高権力者が華国峰だった。
そのとき始終聞かされたのが、「4人組」の悪口である。

後に、日本のオークラがホテルを作った「花園飯店」での宴会に招待されたが、そこは江青女史以下の「上海ギャング・4人組」の巣窟だったと言っていた。
上海は、江青などの出身地であり、直に被害があったようで、その分彼らへの憎しみはとても強かったようだ。

当時は、文化大革命の傷跡がいたるところにあり、会う多くの人が、文革中(彼らはプロ文革と言っていた)は、チベットや僻地に流されていたと語っていた。
そして、名誉回復しやっと大都市に戻って来たのである。
政治的に対立すると、その相手を僻地に流してしまうのだから、中国の政治的対立はすごい。

華国峰時代は、現在に繋がる『改革開放』路線の登小平時代への過渡期の時期であり、その意味では興味深い時代だったと思う。
つまり、「プロ文革は間違いだったが、毛沢東思想は正しい」という矛盾を含んだ路線だった。
そうした矛盾は、現在では完全に払拭され、毛沢東の個人的、思想的誤りや、劉少奇、さらに周恩来への嫉妬までが暴かれている。

だが、将来歴史がどのように描かれようと、20世紀に中国を共産党の下に統一し、近代国家への道を開いた政治思想家・毛沢東の偉大さは、なくならないだろう。
ただし、共産党が政権を取り、政治、経済的に発展すべき過程でおかした誤謬は、また別の問題である。
彼は、偉大な政治思想家ではあったが、国家を管理、運営する実務家ではなかったのだから。
その意味では、ロシア革命における党官僚スターリンに対立する自由人トロッキーと似た資質だったと思う。

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