稲尾和久死去

西鉄ライオンズの投手、監督もされた稲尾和久氏が死去された。70歳。
言うまでもなく、西鉄黄金時代の大投手であり、昭和33年の巨人との日本シリーズで、3敗の後、4戦すべてに出て連勝し、3連敗4連勝で優勝した。
このときは、私もテレビで全試合を見ているが、第5戦延長で逆転負けを食らうと、巨人はあれよあれという間に、西鉄に負けたのだ。
このときの大活躍を「神様、仏様、稲尾様」と言った。

通算勝利数276勝は、神様としては少ないが、これは実働わずか13年、31歳で引退しているのだから仕方ないのか。年平均すれば21勝になるのだからすごい。
当時の西鉄、南海といった常勝球団の監督三原脩、鶴岡一人の投手起用は「一将功なって万骨枯る」の酷使戦略だったので、極めて投手の選手寿命は短かったが、本当の寿命までまで短命とはひどい。
南海の4連投4連勝の杉浦忠、長嶋とのライバルだった阪神の村山も共にすでに亡くなっているのだから、現役時代の酷使は体にひびいていたのだろう。
心からご冥福をお祈りする。

映画との関係で言えば、彼の活躍は劇映画になっている。
昭和34年の本多猪四郎監督の『鉄腕稲尾選手物語』である。
野球選手の映画としては、川上哲治の日活映画『背番号16』もある。その後、長嶋が引退したときには記録映画が、また王貞冶がホームラン日本記録を作ったときにはテレビ・ドキュメンタリーがあった。

その稲尾映画には、私の小学校の同級生の女の子が子役で出ているとのことだった。
その子は、6年のときに他校から転向してきた子で、特に可愛い子ではなかったので、「こいつが映画に出ているの」と疑問に思っていたが、その話は信じていた。
だが、20年くらい前池袋の文芸座で見ると一体どこに出ているのか、分からなかった。
出ていると言ったのは嘘だったのか、それとも目立たないような場面だったのか、今も不明である。

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コメント

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