おかげ様で、拙書『黒澤明の十字架 戦争と円谷特撮と徴兵忌避』の書評が色々と出てきた。
先日の週刊朝日で佐藤忠男さんには「これまでにない視点で表現者の責任を論じているのに感銘を受けた」と書いていただいた。
先日、6月に行うトークイベントの打ち合わせでお会いした時も、「面白かった。丹念によく調べている」と褒められた。
それにつづき、先週には神奈川新聞で服部宏さんが「斬新な指摘、分析」と書いてくれた。
昨日は、朝日新聞の朝刊で作家の出久根達郎さんが「兵役義務の観点から考察した、新鮮な黒澤作品論である」と書いてくれた。
雑誌では『ミュージック・マガジン』で伊達政保さんが、『レコード・コレクターズ』には安田謙一さんがそれぞれ書評を書いてくれた。
内容は、もちろんそれぞれ異なるが、いくつかのものでは、「徴兵忌避の文書のような証拠がないではないか」というものがあった。
その通りで、多分、戦前、戦中に東宝にも社員に徴兵、徴用令が来たとき、人によっては会社は「徴兵延期」の願いの文書を出したと思う。
本にも書いたが、撮影の宮島義勇は、自伝で彼に徴用令が来たとき、森岩雄撮影所長が、西原中佐に「宮島は必要な男だ」と言ってくれたと書いている。
もちろん、そうしたことは口頭で済む訳はなく、東宝の総務課から陸軍宛に、徴兵延期のお願いを文書として必ず提出したと思う。
徴兵延期は、映画界では主にカメラマンや録音技師などで行われ、俳優や監督ではあまり例がないようだ。
陸軍動員令の徴兵延期者の項目に「陸軍大臣の指定工場で必要欠くべからざる者」というのがある。
撮影や録音は特殊技術だが、俳優や監督は誰でもできると思われたらしく、普通に徴兵、徴用されたようだ。
1945年8月15日以降、東宝では多くの戦争関係書類を航空教育資料製作所のフィルムと共に総て焼却したと言われている。
それは当然に陸軍も同じで、8月15日以降、長い間陸軍省の中庭からは、重要書類を焼く煙がもうもうと立ち上がっていたとのことである。
では、黒澤明の徴兵忌避の証拠は一切ないのだろうか。
それは、昭和24年の『静かなる決闘』以後の作品の中にある、と言うのが私の考えである。
是非、DVDで見て確かめていただきたいと思う。