劇団民芸公演『闇にさらわれて』

今月初めに見た芝居で、記憶が薄れつつあるが、書く。
作者は、イギリスのマーク・ヘイハーストで、訳と演出は、丹野郁弓。
話は、1931年のドイツで、弁護士のハンス・リッテン(神敏将)は、ヒトラーをある殺人事件の証人として法廷に召喚しようとし、反ファシズムの旗手として名をはせる。
だが、2年後、ナチスは政権を取り、ハンスは拉致されて強制収容所に入れられてしまう。
彼を救出しようと、母イムルガルト(日色ともゑ)は、一人で戦い、その動きはドイツのみならず、イギリスからアレン卿(篠田三郎)が来るまでになる。
だが、もちろん、リッテンは救われず、収容所で死ぬ。
ここでも再認識させられるのは、歴史は単純に進むものではなく、行きつ戻りつするものだということだ。
それは、日本の明治維新を見ても明らかだろうと思う。

特に興味深いのは、イギリスから来て、ヒトラーに会おうとまでするアレン卿で、リッテンの解放と同時に、ヒトラーへの一定の理解を持っている。 
今では、すべての悪の根源のヒトラーとナチスだが、当時はドイツ復興の担い手として評価されていたのだ。
たしかに、ナチスは、アウトバーンの建設等の公共事業を行い、経済を復興させたのである。
鈴木忠志流に言えば、こうした劇の感動は、劇そのものではなく、事実への感動であり、これは劇本来のものではないとなるだろう。
その通りだが、私は、演劇や映画は、本質的に不純な芸術なので、事実からの感動があっても良いと思う。

紀伊国屋サザンシアター

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