日夏たよりについて

昨日、見た日夏たよりについて書く。
彼女は、日活ロマンポルノ中期で多くの秀作に出た女優である。

好色美容師 肉体の報酬1979年にっかつ
もっとしなやかにもっとしたたかに1979年にっかつ
高校エロトピア 赤い制服1979年にっかつ
もう頬づえはつかない1979年ATG
人妻集団暴行致死事件1978年にっかつ
帰らざる日々1978年にっかつ
おんな刑務所1978年にっかつ
団鬼六 縄化粧1978年にっかつ
実録不良少女 姦1977年日活
新宿乱れ街 いくまで待って1977年
肉体の悪魔1977年日活

藤田敏八監督の『帰らざる日々』では、主人公永島敏行の友人の江藤潤の恋人を演じ、事故で彼が亡くなった時の病室での演技には、鬼気迫るものがあった。
私の友人の下川博は、「日本映画史に残る演技だった」と言ってたほどだ。

さて、いつの間にか、日夏たよりの姿を見なくなったので、ある方に聞くと、
「彼女は、ある人とできてしまい女優を辞めた・・・」とのことで、その人をバカ野郎と思ったものだ。 

それは本当で、愛人になった後、彼女は脚本家加藤伸代となり、公私共にその方の作品を支えたのだそうだ。
そして、加藤伸代は、2016年4月にガンで亡くなったとのこと。『シナリオ』詩に当事者が書かれていたとのこと。
日本映画史に残るような秀でた才能というわけではないが、優れた作品を残した女性の冥福を祈りたい。

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コメント

  1. 大森康行 より:

    高校二年の時に同じクラスに加藤伸代がいた。彼女の前の席が私だった。読書好きな彼女がいったいどんな本を読んでいるのか気になった私は、ある日それとなく覗き込んでみた。西尾幹二の「ヨーロッパの個人主義」だった。その日に買って読んではみたものの、こんなものを読みたがるクラスメートがとても大人の女性に見えた。それから数年後、大学生になっていた私は、新宿の路上で突然加藤伸代のヌードの映画看板に出会った。高校卒業後、寺山修二の天井桟敷に入った事は噂に聞いていたが、まさか日活ロマンポルノで再会するとは思ってもいなかった。その彼女が2016年にガンで亡くなっていたことをこのサイトで初めて知った。ご冥福をお祈り致します。

  2. コメントありがとうございます。
    ここでも関係者のコメントがたまにあり、本当にやっていてよかったと思っています。
    小田原高校ですね。
    天井桟敷も、日活ロマンポルノも、多くの若者が参加したので、当時のアングラ劇の連中が出ています。

    上にも書きましたが、彼女はある映画人と同棲するようになり、その方の会社を支えるために簿記まで勉強しつつ、シナリオを書いたそうです。
    以前、『郡上一揆』を国立映画アーカイブに見に行ったとき、満員で入れませんでした。
    非常にまじめな女性だったそうですね、ご冥福をお祈りします。
    以下が、彼女の脚本です。

    脚本
    1994.04.09 さくら  映画「さくら」製作委員会=クレスト=青銅…
    1994.05.21 どすこい!わんぱく土俵  光商会映像部
    1995.05.27 ひめゆりの塔  東宝映画
    2000.12.23 郡上一揆  映画『郡上一揆』製作委員会
    2004.09.04 草の乱  映画「草の乱」製作委員会