小松政夫が死んだそうだ、78歳、肝細胞ガンとのことだが、その扱いが志村けんに比べて小さいと思うのは、私だけだろうか。
彼の公演は、2度みたことがある。
1983年9月で、『ひとり芝居・小松政夫・笑!』と2014年の日本喜劇人協会の公演だった。
両方とも、『ミュージック・マガジン』の演劇批評欄にに書いているが、後者の方は、ブログにも書いているので、再録する。
日本喜劇人協会というものがあり、初代会長はエノケンで、今は七代目の小松政夫、その公演があるというので、三越劇場に行く。河野洋の作・演出で、小松の他、芦屋小雁、石倉三郎、藤田弓子らには芸があったが、20本近くあったコントは1本しか笑えなかった。それはヤクザの話で、組長の小松が死のベッドにあり、妻藤田と代貸石倉の3人のもの。実は、藤田と石倉はできているので、小松に頭が上がらないのだが、意識もうろうとしている小松が、いつもえばっているが、本当は小心な男であることがわかるというものだった。以前、阿佐田哲也が、日本の演劇公演が最盛期だったのは、戦前の日中戦争から太平洋戦争中の時期だと書いていた。当時は、映画が本数を削減され、多くの俳優、スタッフが実演に流れた。
また、戦時下の増産で、24時間交代勤務労働だったので、常に町で遊んでいる労働者(当時の言葉では職工)がいたので、観客も多かったのだそうだ。そうなると、今は軽演劇にとってほとんど困難な時代ということになるのだろうか。
今は、まさに、本当の喜劇が困難という時代だが、マンザイやコントは隆盛である。
これは、どう考えるべきなのだろうか。
一時代を作った喜劇人の冥福を祈る。