紅葉丘に横浜のユースホステルがある。
ユースホステルというと、なんとも恥ずかしい気がするのは私だけだろうか。
私も、大学1年の時、一度だけ大津のを利用したことがある。
当時、付き合っていた女の子が、夏休みにそこに大学のクラブの連中(私とは別の大学)と行くと言うので、私も合わせて行った。
大津の琵琶湖を見下ろすの山の方にあり、そこは全国でも最も有名なところだったらしい。
夜、ミーティングがあったはずだが、適当にやり過ごし、その子と会って話した。
翌日は勿論別々で、私は京福電鉄で京都に出てどこかを回り新幹線で帰ってきた。
当時、まだ学生は貧乏旅行が当然だった。
その子の家は、相当に裕福だったはずだが、それでも子どもにあまり贅沢はさせなかった。
この夏、大学生の長女はフランスに行った。旅費は自分のアルバイトだが、実に時代は変わったものである。
私が学生時代、周囲で海外に行った者はたった一人で、田中大三と言う好漢だった。
「日本人でアメリカに行って、左翼になったのは田中だけだ」というジョークが早稲田大学映画研究会にあった。
先日、40年ぶりに会った金子裕君に聞くと、彼は、かの田中友幸さんの息子(と言うことは中北千枝子さんの息子でもあるが)だったのだそうだ。
東宝のプロデューサーの息子くらいしか海外旅行など行けなかった。
彼は、卒業後渡辺プロに入り、舞台、映画など多彩な仕事をしたが、結構苦労したようだ。
金子曰く「親父を越える事は出来なかったんじゃないの」
そりゃそうだ、「ゴジラ」の田中友幸を越えることなど、普通の人間に出来ることではない。