『私は砂の器になりたい』


港南台のシネ・サロンで、中居正広、仲間由紀恵主演の『私は貝になりたい』を見る。ここは、昔は駅前のスーパーのビルの中にあり、小さくてビデオ上映だったが、場所が隣のビルに移って上映もフィルムになっていた。
客は、私のほか、初めは70代の女性2人連れだけで、「やはりこんなものか」と思っていると、上映間近かに中居ファンの女子中学生が10人くる。
「中居さま、さま」

映画は、高知の田舎の床屋・清水豊松(中居正広)が、戦時中に撃墜されたB29搭乗員殺害で戦犯に問われ、絞首刑されるという、TBSテレビ(当時はラジオ東京テレビ)初期の名作。
映画としては1959年以来、二度目。
脚本は、テレビ、さらに映画も橋本忍(監督も橋本)で、今度も橋本だが、今回は重点の置き方を変え、なんと2時間半。

テレビ版や、1959年の映画版では、庶民の床屋の豊松が戦犯に問われる不条理を訴えた「お涙頂戴劇」だった。
私も、テレビを見て泣いた記憶がある。戦争の記憶がまだ生々しく残っていた当時では、それで十分だった。
だが、今回は、石坂浩二が演じる矢野正之中将の死刑台の前での大演説が加えられている。
彼は言う、
「確かに捕虜を殺害したのはハーグ条約違反だろう。だが、数百万人の非戦闘員を焼夷弾攻撃した米軍もハーグ条約違反である。また、今回の米兵殺害の責任はすべて司令官たる自分一人にあり、他のものは減刑、もしくは無罪としてほしい」と。
そして、この石坂と中居の交流もテレビ版等にはなかったものだ。
それほどには、日本の庶民感情も変化し、戦争への見方も客観的になって来たのだろう。

だが、今回の問題点は、中居の死刑判決を知った妻仲間由紀恵が、減刑の嘆願書を持って四国を歩く件にある。
四国の四季の美しい情景、また冬の雪深い山中や岬を乳飲み子を背負った仲間由紀恵が、署名を集めに彷徨する場面に、久石譲の音楽が高鳴る。
どこかで見ませんでした。

言うまでもなく、橋本忍脚本、野村芳太郎監督の『砂の器』である。
あの映画で、一番泣かせる、ハンセン病で村を追われ諸国をさ迷う加藤嘉と息子のシークエンスである。
橋本自身は、あれを「義太夫、文楽」と言っているそうだ。
つまり、演じている役者と画面に、太夫の語り(映画『砂の器』では、丹波哲郎の大芝居)が被せて、見るものの涙をさそう。
だが、映画『私は貝になりたい』では、語りがなく、音楽だけなので少々泣きが弱い。

また、中居正広、仲間由紀恵というのは、観客動員から見て仕方がないのだろうが、テレビのフランキー堺と桜むつ子、映画のフランキー堺と新珠三千代に比べ「庶民」と言えるだろうか。
もっとも、今の若い役者で庶民など、死語に近いが。
無理してキャステイングすれば、カンニングの竹山と女優の中島朋子くらいが、現在のベストキャステイングのように思えるが。
役者で唯一面白いのは、悪辣な上等兵を演じる六平直政である。
昔なら、自衛隊友の会の南道郎が演じた悪役兵士役を、六平は嬉々として演じ最高。

こんなことは、中居ファンの中学生には全く関係なかったようだが、彼らも一応泣いていた。

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