『胸より胸に』

昭和30年、高見順原作、家城巳代治監督、有馬稲子の主演作品。
制作は若槻繁と灰田勝彦で、若槻氏は、有馬が所属した「にじんくらぶ」の代表で、映画制作を最初に手がけた作品である。その後、『人間の条件』等の大作を作るが、『怪談』の失敗で解散し、役者の多くが福田恒存が文学座を割って作った劇団雲傘下の現代演劇協会に移行することになるが、それはずっと後の話。

主人公の有馬稲子は、浅草のストリップ劇場の踊子、と言っても1970年代以降の「全スト(全部脱ぐ関西ストリップ)」ではなく、今見ればビーチ・バレーの方が裸に近いが、当時としてはかなり露出度が高く、貧しい戦災孤児のダンサーを演じる。両親は、東京大空襲で亡くなったのであり、そのときのことが後に悲劇の引き金となる。
彼女が、鎌倉に住む大学教授の富田浩太郎と偶然知り会い、愛し合うが「階級格差」から別れ、幼馴染のバンドマン大木実と結婚する。
だが、大木はいい加減な男で、二人は劇場をクビになり、キャバレー廻りになる。
有馬は、アメリカ人のパーティで踊った後、米人からタクシーに乗せられ、ホテルに連れ込まれそうになる。この米人は、ピーター・ウィリアムスで、よく映画に出ていた。
その時、タクシー運転手内藤武敏の言葉(反米感情のむき出しだが、この時期の日本人の感情そのものだろう)に、有馬は自己の不甲斐なさにやっと気づく。
下町のメッキ工場の女工で、昔は下宿していた友達の久我美子のところに戻る。
「貧乏人の自分には一番相応しい場所だ」と。
彼らは、地域で文化運動をやっている。
かの「歌声運動」である。
夏祭りに、彼らはコーラスで出演する。
歌うのは、「幸せはおいらの願い・・・」の『幸せの歌』である。
なんとも恥ずかしい。
お化け煙突が見える下町の大観衆の前で、大衆と一緒に彼らは「幸せは・・・」を大合唱し、その興奮に有馬も生き返る。
最後、大木との縁を切るために、有馬は彼と住んでいたアパートに行き、争いになって腐った階段の手すりから落ち、あっけなく死んでしまう。

富田浩太郎らが象徴する上流階級でもなく、大木実に代表されるルン・プロでもなく、久我美子のような、社会のために活動する者の側に行こうとしたとき、有馬は死んでしまう。
これは、一体何を意味するのか。
やはりストリッパーのような人間は社会変革には無縁だと言うのか、それとも最後に進歩的陣営に来て、すべてハッピー・エンドにするのは、作者たちは恥ずかしかったのか。
その辺はよく分からない。
ただ、全体に韜晦的である。

富田の友人の貧乏作家で下元勉が出てくる。
彼は高見順に一番近く、全体を俯瞰する位置にいる。
そして、彼もまた戦前の学生時代は、浅草の踊り子だった水戸光子と恋仲だったが、生活苦から水戸を捨て、富豪の娘山本和子と結婚した過去があり、今は銀座でバーをやっている山本和子の金で生きている。
そして、水戸光子は、浅草で例によってお好み焼き屋をやっていて、有馬を妹のように可愛がっている。
「何もせず、見ているだけ」と水戸光子から評される下元の立場は、監督に一番近いように見える。
その意味では、家城巳代治らにとって、この作品は、相当に言い訳的に見える。
家城巳代治は、山本薩夫、今井正らと並ぶ左翼映画監督とみなされているが、本質は松竹大船なメロドラマ監督だと私は思う。
何しろ、美空ひばりの代表作『悲しき口笛』を監督したのだから。

有馬稲子は、得意のダンスをふんだんに披露する。ファンにとっては必見の作品である。そして、やはりきれいだ。
戦後の女優で一番美人ではないだろうか。
有馬稲子か、月丘夢路が日本映画史上で最高の美人女優だと思う。
しかも、彼女たちは整形ではないのだからすごい。
今は、きれいな女優はいくらでもいるが、ほとんど整形美女である。
有馬や月丘は本物の美人である。
衛星劇場

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