森光子はなぜ今日まで古びなかったのか

土曜日に、NHKアーカイブスで森光子の昔のインタビューを見ていたら、彼女が『放浪記』について、「毎回すべての演技を忘れてしまい、手の運びなど、どうしたかしらと思い出しながら演じてきた」と語っていた。
これこそ、日本の新派や商業演劇の演技論なのだ。
新派の花柳章太郎の芝居を見ると、わざとたどたどしく、まるで台詞を憶えていないように言い、演じる。あるいは、殿山泰治は、まるで台詞を言い演じるのが嫌なように、いやいや台詞を言い、適当にやっているように見えてそれが新鮮な演技のリアリティになる。
そうやって、彼ら練達の演技者は、自分の芝居を絶えず新鮮に、常套的にならないように演技していたのである。
これは、きわめて日本に特殊な演技論のように思える。
そして、森光子も、この系譜に位置していたわけだ。

さらに、彼女には、もう一つ特別な経験があった。
戦中から戦後にかけ、彼女は自身が劇『おもろい女』として演じている、漫才のミス・ワカナと玉松一郎の一座で旅周りをしたことがあり、そこで天才漫才師ミス・ワカナの芸を知ったことである。
ミス・ワカナの漫才は、CDにあるので、聞いていただきたいが、実に天才的な女性漫才師で、彼女に匹敵するのは、多分横山やすしくらいだろう。
大変素っ頓狂な女で、その飛び方は、吉田日出子に似ているところがある。

ワカナの芸は、今の吉本のマンザイが束になっても到底敵わないものである。
その影響は、現在も森光子を、ジャニーズの若者にもズレた感じを与えない所以だろうと思う。

そして、森光子で興味深い挿話は、彼女に求婚して振られたのが、大映の監督森一生だったことである。
勿論、当時は彼は新興キネマの助監督だったが、さすがに森一生は役者を見る目があったということだろう。また、当時の森光子の出演映画には『お伊勢参り』があり、多くの芸能人の中に出ている。

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