『森は生きている』

実は、見るまで本当は少々気が進まなく、旧ソ連の民衆劇のようなミュージカルは、やはり民青歌声的で、私は苦手なのである。
台本・作曲の林光の追悼公演と言うことで、見に行くことにしたのである。

我がままな女王様が、12月31日の大晦日に、4月に咲く松雪草を持って来くれば、金貨をあげると国中に布告する。
欲張りで意地悪な母親と姉にいじめられていた妹は、森に入り、そこで、12月(じゅうにつき)の各月の精たちに会う。
彼らは、娘に同情し、ひと月づつずらしてくれて、12月31日の夜に、4月の花の松雪草を咲かせてくれる。
ステージに白い花が咲いたとき、それは感動的だった。
黒澤明の『七人の侍』で、木村功の勝四郎が、津島恵子のし乃と出会う、一面に白い花が咲いているシーンを思い出させた。

話は、母親たちの金欲の資本主義批判と共に、我がままな女王に象徴される独裁政治だが、これはやはりスターリンの独裁政治を批判する意味があると思う。
最後、女王はすべての自分の誤りに気づき、改心して娘に褒美をやろうと約束しようとする。
すると側近の部下たちは、「そうした約束はやめてくれと執拗に懇願する」
この意味ははじめよくわからなかったが、当時ソ連で必ず行われていた「労働ノルマ制」のことを意味しているのではないかと思った。
普段我々が気軽に使う、ノルマという言葉も、ソ連では大変な重労働や苦役を意味するものだったらしい。
児童文学に託して、作者のサムイル・マルシャークが、独裁政権批判をしたのはなかなかなものである。
皮肉だが、20世紀のクラシックの作曲家で一番交響曲を書いたのは、スターリンの圧迫下にいたショスタコーヴィチであることは有名である。
独裁と圧政は、優れた芸術を生む社会的条件であるとも言えるだろう。
何の圧迫もない21世紀の日本に大した芸術が生まれないのは、ある意味当然なのである。
それが平和と繁栄というものである。

この劇は、言うまでもなく1954年に俳優座劇場ができた時に、青山杉作の演出で岸輝子、岩崎加根子、初井言栄らの出演上演され、全国で巡回上演されたヒット作であり、この時の劇音楽も林光だった。
だが、私は劇は見ていない。
ただ、娘が12月の各月の精が集まっているところに来るシーンは見たような記憶がある。
おそらく、NHKがテレビで劇を放映したものを見たのではないかと思う。
俳優座劇場

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする