黄金町が麻薬地帯だったのは、短期間だった


ディープ地域の研究家壇原照和さんが、このほど『消えた横浜娼婦』(データハウス)出し、記念イベントがあった。
黄金町の「シネマ・ジャック&ベティ」の下の「1Fカフェ」

本は、題名とは異なり、横浜の中心部研究と言うべきもので、緻密な調査、研究の成果である。
この夜は、黄金町に存在し、行政や警察からはさんざ忌み嫌われてきた、いわゆる売春街「チョンの間」の戦後の歴史を壇原さん自身が語った。

戦後、横浜に来た引き上げ者などの住家として始まった京浜急行高架下は、間もなく飲食店、そして売春宿になる。
そこには、桜木町から黄金町付近にいた売春婦たちを路上から追い払う県警の方針があったそうだ。

そして、昭和40年代以降の日本の所得倍増により日本人がいなくなると、まず台湾人、そしてタイ人女性がやって来る。
その間、昭和35年から37年あたりは、この地域が麻薬取引の巣窟になったようだ。
だが、それは本筋ではなく、この地域は麻薬街ではなく、あくまで売春街だった。
だが、黄金町と言えば麻薬と来る。
これは、黒澤明の映画『天国と地獄』の造形力が余りにも強烈だったことによる。
しかも、あれは東宝のスタジオ撮影なのに、実景だと誤解している人が未だに多い。
まことに黒澤明は、罪作りな人である。

6月13日は、昼間は横浜の表の歴史、夜は裏の歴史を見た一日だった。
本については、読んでから書くことにする。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. 「消えた黄金町娼婦たち」について語ります

    縁ありまして、この度横浜のディープな歴史を語ることになりました。
     ●●消えた黄金町娼婦たち●●
    ~書籍『消えた横浜娼婦たち—港のマリーの時代を巡って』(データハウス・刊 5月末発売) ~刊行記念イベント
    【日時】  2009年6月13日(土) 19:00開演…