映画監督の斉藤耕一が死んだ。80歳。
この人は、映画のスチール写真のカメラマンから監督になった方である。
海外では、写真家から映画監督になった人はいるが、日本では数少ない一人だろう。
東映でスチールマンをやっていて『ひめゆりの塔』が高く評価され、日活に移籍し、そこでも多く優秀な作品を作った。
同時に石原裕次郎の取り巻きの一人で、ジャズにも詳しく、かなりのマニアだったと聞いたことがある。
そして、中平康の『月曜日のユカ』のシナリオを書いたことから、本格的に監督になる。
1作目の『囁きのジョー』は見ていないが、評価は高かったようだ。
その後、主に松竹で青春映画を作る。
今では、主演の高橋洋子よりも、秋吉久美子(タイトルは本名の小野寺久美子)が出たことで有名な『旅の重さ』、萩原健一が本格的に映画に出た『約束』などを作る。ATGの『津軽じょんがら節』は評判が良かったが、私は見ていない。
歌手や素人など、「初物」も好きだったようだ。
彼は、ルルーシュのような「映像派」で、現場でシナリオを変えることも多く、シナリオ・ライターとはトラブルになったようだ。
西郷輝彦主演の『海はふりむかない』という松竹映画がある。
多分、大船撮影所で撮ったらしい東京での芝居はシナリオ(星川清司)どおりで古臭かったが、西郷が広島に行ってからのシークエンシスは、即興演出らしく、途端に冴える。
考えれば、『旅の重さ』『約束』もロケーション作品であり、スタジオ・ワークは上手くなかったようだ。
最後は、地方の運動と連携した作品に行く。
映像派にとっても、21世紀は生きにくい時代だったのだろう。
だが、『約束』『旅の重さ』等は、1970年代の日本映画史に残る秀作となるだろう。
コメント
愚作
囁きのジョーは、愚作です。
そうですか
コメント有難うございます。
『囁きのジョー』は、主演が中山仁と麻生れい子ですから、芝居になってなかったでしょう。
斉藤耕一は、映像と音楽で何でも処理できると思っていたらしく、晩年にはドラマ性の希薄さが出てきた。
デビュー当初は、ファッショナブルな映像が新鮮だったが、それが日本映画でも当然になった1980年代以降はぱっとしなくなったのも、ドラマ性が薄いからだったと思う。
「約束」は、私も好きです
「囁きのジョー」が評価が高かったというのは、自宅を抵当に入れてまで自主制作した心意気を評価したものでしょう。
ラストは、中山仁の日本脱出ですが、その手段というのが……唖然。だから愚作です。まあ、機会があったら、ぜひ。
「約束」は、良かったですが、韓国映画の原作とそっくりという説もあるようです。
「晩秋」というタイトルです。
それはそのとおりでは
『約束』の原作が、韓国映画というのは、そのとおりだと思います。シナリオ・ライターの石森史郎も認めていたはずです。
あの映画で、刑事と裁判長が三国連太郎で同じなのは、金がなくて役者が足らず、急遽三国に出てもらったそうですが、最初に見たとき、これは何か特別な意味があるのか、と戸惑いましたが。