日本映画専門チャンネルの山崎豊子特集で、『花のれん』を見る。
『暖簾』が、川島雄三であるのと同様、これも豊田四郎と風俗映画の名手である。
吉本を作った吉本せい(淡島千景)の一代記であり、『夫婦善哉』と同じく、だらしのない男と、頑張り屋の妻の話である。
船場のぼんぼんだった森繁久弥は、愛人環三千代の家で急死してしまう。
株で失敗し、船場の店を売り、その金で芸事の好きな森繁のために寄席を買い、やっと寄席商売が軌道に乗って来たところだった。
森繁の葬式に淡島は、白無垢の着物で出る。これは、船場では二度と再婚しないという証なのだ。
それから、淡島は次々と大阪の寄席を買い、芸人を傘下に入れる。
要は、後家の頑張りであるが、後家殺しの異名のあった桂春団冶も淡島には手を出さない。
吉本が、大阪に持ってきて大成功したものに、安来節があり、それも出てくる。
真ん中で踊っているばあさんが上手いなと思ったら、飯田蝶子だった。
その一座は、飯田が歌い(勿論吹き替え)、泥鰌救いの男が下品な仕草や、若い早乙女姿の女たちに手を出して笑いを取る。
飯田は、客を挑発して座を盛り上げ、客席は総立ちになる。
最後は、観客の全員、淡島まで客席に入り乱れての大合唱と踊りになる。
それは、まるで今日のロックコンサートである。
番頭の花菱アチャコは言う、
「まるで何かに取り付かれてるみたいですな」
そのとおり、ロックコンサートは、神降しであり、憑依なのだ。
歴史をたどれば、中世の道元の禅も、その布教の集会は、絵で見ると完全にみな踊り狂い、歌い、禅僧は完全に憑依している。
むしろ、そのくらいしなければ、人も宗教に感化されないのだ。
淡島は、女を捨てて商売と金に生きるが、唯一男女の淡い交情があるのが、寄席好きの市会議員佐分利信との関係だが、佐分利も選挙違反の罪で自殺してしまう。
最後、一人息子石浜朗は、淡島の前期代的な事業を嫌い、若い娘の司葉子とすでに婚約した身で、出征してしまう。
石浜朗の予言どおり大阪の町は、空襲ですべて灰燼に帰す。
そこに淡島を呼ぶ、司葉子の声。
いずれ石浜朗が復員してきて事業を再興するだろうことを暗示して終わる。
豊田らしい、庶民の芸能に深い知識を示した作品。
花菱アチャコ、浪花千栄子、飯田蝶子ら達者な役者の芸が楽しい。
コメント
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残念ながら
誠に残念ながら、新作映画を見ていませんので、参加できません。
多分、池田敏春監督の『秋深く』以後は、見ていないと思います。
今年見た作品で最高だったのは、五所平之助監督の1962年の『雲がちぎれる時』でした。