「新劇滅びて、井上ひさしあり」と言うのが、私の説だが、もう一人いた。
東宝現代劇で菊田一夫亡き後の、脚本のエースだった小幡欣司である。
小幡は、元は劇作家三好十郎の系列の小劇団炎座にいた。
『人間の条件』の作家五味川純平が、その劇化権を炎座に与えていたため、東宝と菊田一夫は、小幡の脚本と劇団員の参加を条件に芸術座で『人間の条件』を上演した。
それが切っ掛けで、小幡は東宝で脚本を書くようになるが、元は新劇だったわけだ。
昭和16年12月8日、真珠湾攻撃の太平洋戦争の開戦の放送から始まる。
俳人の西東三鬼をモデルに、川柳作家で歯医者の西川明は、反天皇制の川柳だと特高の取調べを受ける。その警察に怒鳴り込んでくる看護婦の奈良岡朋子。
川柳もやめ、西川は、神戸に行き、北ホテルに一人住む。
そこは、亡命ロシア人、イタリア人をはじめ、ママと呼ばれる正体不明な女性、闇屋などが住む神戸の下層の社会を象徴する場所だった。
新劇十八番の『どん底』であり、菊田一夫の名作『放浪記』で言えば、「渋谷の旅館」である。
そこに、東京で同じ病院にいて、西川に惚れている看護婦の奈良岡がやってくる。彼女は、五島列島の福江の出身で、一度は島に戻ったが、西川のことが忘れられず、伝をたどって神戸まで来たのだ。
勿論、西川には妻がいるが、長い間別居していた。
結局、北ホテルは、昭和19年には、閉鎖され、「産業兵士」の寮にされる。
その夜は、奈良岡が従軍看護婦として台湾に出て行く日でもあった。
一体、その後彼らにどのような運命が訪れたのか。
小幡の戯曲は、ほとんど喜劇で大変面白い。
奈良岡は、実に台詞が上手い。間が最高である。
また、戦時中の様々な替え歌、地口、洒落等が出てくるが、ほとんど小幡らが出すのを楽しんでいるように思えた。
奈良岡が従軍看護婦に選抜されたのは、技量が高く、年齢が行っていて、美人でないからだそうだが、そうなると増村保造の名作『赤い天使』の看護婦西桜の若尾文子は、あり得ないのか。
そして、この西川明と奈良岡朋子の関係は、成瀬巳喜男の名作『浮雲』の二人のようにも見えた。
三越劇場の二階から見下ろすと、
まるで「人生絵巻」を見ているような気がした。