混合文化としての紅白歌合戦

NHKの紅白歌合戦を見た。
最近では、ましだったと思う。
FLUMPOOL、生きもの係り、レミオロメン等を初めて見たが、悪くない。
何より、松田聖子、郷ひろみ、山川豊、鳥羽一郎らが出なかったのが良い。
これで、美川憲一と和田アキ子が出なければ最高だが。

それにしても見ていると、日本のポピュラー音楽はきわめて独自なものだと思う。
演歌にしても、リズムはほとんどロックの乗りで、坂本冬実や、今年は出なかったが藤あや子などは、完全にロックである。
また、多くのバラード的な歌も、よく聞くと演歌的叙情の世界であり、若者のヒップホップは、ご詠歌か民謡の数え歌のように聞こえる。
「秋田名物数々あれど、ハタハタ、・・・」という奴にそっくりである。
つまり日本のポピュラー音楽は、伝統的な音楽と西欧の音楽との絶妙な混合である。
その奇妙さは、1960年代の沢島忠監督、中村錦之助が主演した東映時代劇映画もおかしさや、小林旭の日活映画の無国籍性に通じるものがある。
アジアで独自の音楽文化を持っているのは、日本、韓国、タイだが、この3国は、長期に異文化、異民族の支配を受けなかったことが、その大きな理由である。

多くの歌手の後ろに、多数のバックダンサーが踊る演出があった。
これは、昔は日本の歌踊番組でもよく見られた手法で、近年は廃れたものだが、これは大変面白いものであり、極めてアジア的な表現である。
韓国、香港等にも、歌番組がテレビであるが、必ずバックダンサーが付く。歌手のライブコンサートでも、バックダンサーが必ず付いて踊る。
これは、歌手がその歌の世界の役に扮して歌い、演じるという表現方法で、歌謡の世界では、極めてアジア的、非近代西欧的な方法なのだ。
鶴田浩二は、サンドイッチマンにも、特攻隊にも扮して歌った。決して鶴田浩二個人の私生活を歌ったりはしなかったのだ。
それが、ニュー・ミュージックの時代になり、歌手は自己の私生活の延長線上に歌の世界を作るようになり、それが歌を詰まらないものにしたのである。

あの大量のバックダンサーを従えての歌唱は、紅白をアジアのテレビ局に売るためのNHKの演出かもしれないが、良い傾向だと私は思う。
あのばかばかしさがアジア的なのだ。
それは、かの首領様のおわす国のマス・ゲームにどこか似ているが。

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