日本映画界の最上と最低

横浜黄金町のシネマ・ジャックで太宰治2本立てを見たが、現在の日本映画界の最上と最低だった。
『ヴィヨンの妻』と『パンドラの匣』である。
主演女優松たか子と川上未映子、監督の根岸吉太郎と富永昌敬との、映画、役者のプロと素人との差でもあった。

だが、結果は当然だが、『パンドラの匣』は、始まって30分間、面白くもおかしくもないので、「一体これはなぜこんなにつまらないのか」と考えていた。
結論は当たり前で、シナリオどおりに運び、役者が台詞を言っても、ドラマになっていなければ、映画にはならないのだと言うこと。

大体、なぜ川上未映子を主演女優にしたのだろうか。
少しも美しくも、上手くも、可愛くもないのに、本当に信じがたい。第一、客を呼べる女なのか。
富永昌敬は、前作『パビリオン山椒魚』も最低の愚作だったが、こんな才能のない奴に続けて映画を作らせる東京テアトルは、よほどの「バカ会社」なのか、それとも金が余って仕方がないのか。
唯一の見所は、菊池孔成の音楽だろうか。

『ヴィヨンの妻』は、近年まれに見る女性映画の傑作である。
まず、松たか子がすごい。
台詞に嘘がなく、すべて自然。この辺は、父親の松本幸四郎譲りである。
全体に良いが、最初の30分くらいが殊に素晴らしい。
夫の大谷(浅野忠信)が居酒屋から金を持ち逃げし、身代わりに中野の闇市の伊武雅人と室井滋の店に行き、「働いて返します」と店に立つと、客に大うけして祝祭のようになる件で、涙しない者がいるだろうか。いたとしら、人非人だ。
今や、日本の女性に失われた「けなげさ」の表現が松たか子にある。
それだけでも、この映画の価値はある。

浅野のほか、松たか子に憧れ、求婚する青年工員が妻夫木聡、松たか子と若い頃互いに好き合っていたが、大谷の出現で別れた弁護士が堤真一とキャステイングも最上。

敗戦直後や昭和30年代くらいまでは、まだ経験者が現存しているので、映画美術は最も大変だそうだが、よく再現している。
照明も良い。

唯一問題と思ったのは、夫が谷川渓谷で心中し、松は浅野に警察で会った後、現場に行く。
そこで、睡眠薬の瓶と錠剤を手に取るところ。
いくら田舎の警察でも、殺人未遂罪の凶器である薬や錠剤を現場に残しておくものだろうか。証拠として、すべて持って行くに違いない。
ともかく、日本映画界の最上と最低を知った一夜だったが、近所のスペイン料理店エル・ニョスキで食事して戻る。

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コメント

  1. ティティナ より:

    Unknown
    日本映画は犬のクソに等しいですよ。

  2. それを言っちゃおしまいよ
    すべてを駄目というのは、クソも味噌も一緒にする議論だと思う。

    やはり、その中で良いものと、ひどいものをきちんと見分けることが必要だと思いますね。

    そうしないと、いくら経っても良くならない。