昭和33年、大映のナンバー2で専務だった曽我正史が、永田大映に反旗をひるがえして作った新会社・日映の作品。
日映は、「日本映画界に第七系統ができる」と大騒ぎになったが、大映社長の永田雅一の政・財・官界への工作により、日映は資金を断たれて孤立し、ただの一独立プロダクションとして、この『怒りの孤島』と『悪徳』の2本を作って終わる。この作品は、実際は松竹系で上映されたようだ。
今回は、シネマ・トライアングルの特別上映で、新橋のTCC試写室。
この映画のポスターは、昭和30年代に東京の町の電柱に貼ってあったのを憶えているが、公開時のものではなく、公会堂での上映だったのだろう、今回も16ミリ・フィルムである。
驚いたことにイーストマン・カラーだったが、ほとんど赤色。
台詞はともかく、芥川也寸志の音楽はほとんど聞こえず、飛んでいる部分も多い。
脚本は水木洋子、撮影は木塚誠一、録音安恵重遠(藤原鎌足の弟)、美術平田透徹と、みな東宝系の左翼で、大映のスタッフはほとんどいない。
監督は久松静児で、泣かせどころなど、ツボを心得た演出である。
ものの本だと、この人はほとんど的確に指示しない人だったらしい。結局、重要なシーン以外はスタッフに任せて軽く撮っていくというやり方だったのだろう。
森繁にも評価されているのだから、かなりなものであると言える。
役者は、主演の舵子の一人が手塚茂夫で、彼はスリー・ファンキーズになる。
浮田佐武郎、島田屯、岸輝子、福原秀雄、さらに労働基準監督署員に原保美、児童相談所員に浜村純などと、すべて左翼新劇陣営。
戦後の話なのに、確かモデルになった山口の島から苦情があった性か、冒頭のナレーションは、「昭和16年、少年たちは島に来る」と言う。
ともかく始まりだけ戦前のことにして、地元の苦情を逃れたのだろうか。
舵子というのは、実際に瀬戸内海地方にあった少年を買って、操舵手に長期に雇う習慣で、江戸時代から存在したのだそうだ。
実際の子供たちは、最下層の貧乏人の子、心身障害児、被差別部落の子などで、多くは口減らしに売られたようだ。これまた絶対的窮乏である。
息子を魚組の株を買うために、10年間3,000円で売ってしまう母親が戸田春子さんで、2日ぶりの再会。これなど、明らかに漁民に入れてもらえない被差別民のことだろう。
舵子を心配する小学校の先生が、織田政雄、妻は岸旗江、娘は天才子役・二木てるみ。
この会社に集まった連中は、日映終了後は行く場がなく、多くは松竹・大谷竹次郎社長の温情で、松竹の子会社・歌舞伎座映画に吸収され、京都撮影所で二番手時代劇を作ることになる。
この貧乏ぶりは、今の子供に是非見せたいと思う。
「日本もつい最近までは、途上国だったのだ!」と。
永田雅一の伝記『ラッパと呼ばれた男』を読むと、1960年代後半、大映が倒産しかかったとき、永田は曽我正史に「大映の社長になってくれないか」と頼んでいるが、それは成立せず、大映は次第にじり貧になり、1971年に倒産する。
この1957年に曽我が反旗を翻したときに、上手く彼の意見も入れて経営方針を立て直せば良かったのにと思うが。
TCC試写室