太平洋戦争の末期、樺太の真岡電話局で、ソ連の攻撃の前に、自死した女性交換手たちを描くドラマ。
『ひめゆりの塔』の樺太版である。
この映画は、1974年に大型映画として作られたが、当時のまだ冷戦下の米・ソの対立の中、ソ連の横槍で、当初予定した東宝での公開はできず、東映洋画系で細々と上映された作品。
監督は、大映の村山三男で、「中隊長」と呼ばれ、戦争映画が得意の人なので、戦闘場面等は上手く、お涙頂戴もある。
二木てるみ以下、鳥居恵子、岡田可愛、木内みどりなど、当時の若手女優が総出演。
その他、戦争映画の常で、参謀の丹波哲郎や司令官の島田章吾などが脇を固める。
二木てるみの夫は、若林豪で、新国劇の俳優が多いのは、製作の望月利雄の関係だろうか。この望月は、戦後すぐに新東宝で映画を作っている他、1970年代の末期の日活でも新国劇と連携した作品を作っている。要は、独立プロデューサーだったのだろう。
映画としては、普通のレベル、特に優れたものでも、ひどいものでもない。少なくとも、大蔵貢が大蔵映画第一作としてシネラマで作った大作の『太平洋戦争とひめゆり部隊』よりはまし。
黄金町シネマ・ジャック
この樺太の真岡電話局の実話悲劇は、映画で有名だが、実は芝居にもなっている。
主演は三国連太郎で、女優の主役は、当時三国と同棲していた女優の西尾恵美子で、全国公演したのだそうだ。
西尾恵美子は、鳳八千代の妹で、東映映画のファンなら、中村錦之助の名作『関の弥太っぺ』で、十朱幸代を夫武内亨と共に預かる旅籠の妻である。
宝塚出身で、かの菊田一夫の最後を看取った女性でもあるのは有名。
小幡欣司の菊田の伝記によれば、菊田一夫は女性に対して、きわめて不器用な男で、気の強い女性が好きで、それにひれ伏すような、マゾヒスティツクな愛を求めていたらしい。
マザー・コンプレックスと言うべきなのだろう。
確かに西尾も、多少権柄づくな感じのあった女優である。
最近見たことがないが、今はどうしているのだろうか。
やはり、女性に対し複雑な思いを持っている男性と付き合っているのだろうか。
コメント
間違いでは!
二木てるみの夫は、若林豪と書いておりますが、間違いではありませんか、
若林豪夫人は芙佐子さんで、結婚45年以上だそうです。
二木てるみの本名は輝美で、芙佐子とは違うのですが。
説明が不足していました
二木てるみの夫が、若林豪というのは、映画の中の役のことです。
二木てるみの夫は、元劇団新人会の気弱な二枚目岩崎信忠です。
新人会も今は、劇団朋友と名を変えていますが、長山藍子一座として活動しているようです。かつては、名門劇団だったのですが。
岩崎信忠と言えば、なんと言ってもドラマ『女の斜塔』ですが。
初めまして~
女の斜塔を検索していて此処に辿りつきました。当時岩崎忠信さんの大ファンでしたので
此処で岩崎さんの話題を拝見できて嬉しく思います。
二木てるみさんと結婚したのは存じあげていますが今もずっと離婚などされておられないのでしょうか。私は二木てるみさんのファンでもあり彼女のブログは時々拝見していますがご主人のことが一切書かれていないので気になったものですから・・・すみません。もしご存知なら教えていただけませんか。
そして岩崎氏は今も俳優を続けられているのでしょうか。
質問攻めで申し訳ございません。
私も分かりませんが
コメント有難うございます。
岩崎忠信さんは、芝居でも名をあまり見ません。
二木てるみとは離婚していないでしょう。多分、彼女クラスなら、離婚すれば大ニュースになりますから。
岩崎は、新人会が実質的になくなってあまり出ていないので、想像ですが役者が好きではなかったのかもしれません。俳優の中には生活等の理由で、嫌々やっていたという人がいます。「桑野みゆきや芦川いずみがそうだ」と大島渚は書いています。「彼女らは、多分家族を養うために女優をやっていたので、だから結婚後は二度と復帰しない」と。
岩崎忠信も、本当は俳優が好きではなかったのかもしれませんね。人は分からないものなのです。やっているとすれば、専門学校の俳優養成コースの先生でしょう。今、かつての多くの俳優やスタッフが、専門学校の先生になっています。それはとても良いことだと思っています。
ありがとうございました
ご丁寧にお答え頂きまして感謝申し上げます。
私も団塊世代で、子役時代からの二木さんも岩崎さんも大好きな俳優ですので離婚していなければいいなあと案じておりました。
ありがとうございました。
此処のブログとても内容が濃くて面白いですね。
これからもロムさせていただきます。