『藤原義江のふるさと』

火曜日は休みなので、午後はフィルム・センターに溝口健二監督の『ふるさと』を見に行く。
新藤謙人の本等では、凡作とされているが、何事も自分で確かめないと信じられない性分なので、見に行く。

昭和5年、1930年日活最初のトーキーとして作られたもの。
日活が、ウエスタン・トーキーを採用する前で、皆川芳造と言う人が作った「ミナ・トーキー」による録音。
大森にあったおんぼろスタジオで作ったそうで、そのため半分くらいは屋外やホテル等のスタジオ以外の撮影になっている。
音楽と台詞を同時に録音できないので、劇的な台詞の時は音楽はなく、伴奏がメロディーを奏でるときは、サイレントになって台詞は、スポークン・タイトルによるやり取りになる。
結局、サイレントの方が生き生きした台詞のやり取りになるのは、時代的に仕方ないのだろう。

話は、帰郷したテナー歌手の藤原が、悪徳マネージャーや金持ち娘のパトロンとの邪な愛から自ら起こした交通事故で目覚めて、糟糠の妻夏川静江のもとに戻り、民衆のために音楽堂で歌を歌うと言うもの。
森崎東なら、「女は男のふるさとよ」と言うところだろうか。
最後が、日比谷野外音楽堂での大衆イベントになっている。
前作『大都会交響曲』で傾向映画を作った残滓であろう、溝口健二は、民衆の方に立とうとしている。
そして、かの北の国の宣伝のように、藤原と夏川が「明るい明日を見つめて視線を上げる」ポーズで決まるのが笑える。

本編の前に、松竹や電通のニュースも上映される。
1930年頃なので、すべてサイレント。
当時、トーキーがなかったのだから当然だが、実際は活弁で説明されたはずだ。
朝日新聞提供の、満州事変の第1報、第2報も勿論サイレント。
北大営、南大営と字幕で説明されても、中国軍に襲撃された施設なのだろうが、我々にはよく分からない。だが、当時の日本人は皆新聞等で熟知していたのに違いない。

1928年の普通選挙のときの政友会総裁の田中義一の演説映画も上映される。
今の政党のテレビCMである。
話の始まりが必ず「諸君!」と言うのがおかしい。
昔の演説は、政治家のみならず、学生の雄弁会でも、皆「諸君!」から始まったものだ。
フィルム・センター

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コメント

  1. SS より:

    Unknown
    RCA社とウエスタンエレクトリック社はライバル企業でトーキーシステムも別々では?

  2. さすらい日乗 より:

    そうでした
    日活が採用したのは、ウェスタン・トーキーで、ウエストレックスと表記されていました。ウエスタンは、AT&T系だそうですね。