1969年に作られた、須川栄三監督の東宝映画作品。
主演は、小沢昭一と小林桂樹、相手役の女性は高橋紀子である。
東宝得意のサラリーマン喜劇を裏返したような筋書きである。
万年平社員の小沢昭一は、常務の小林桂樹の用で、人事異動構想のために小林が篭っているホテルに行くと、そこにタイピストの高橋が買物をして戻ってくる。
前社長の娘婿の小林桂樹は、謹厳実直を絵に描いたような堅物だが、実は高橋紀子を愛人にしていたのである。
そこから小沢の苦労がはじまる。
高橋は、会社を辞め、小林が借りたマンションに住むことになるが、高橋の凶暴な兄加藤武の暴力をかわすため、小沢は小林の頼みで、高橋の婚約者になり、加藤が来る時は、マンションに行くことになる。
だが、やっと貧困生活から抜け出し、自由も得た高橋は、同じマンションにいるドラ息子高橋長英と出来てしまい、それを小林に知られてケンカになる。
そして、ある夜、高橋は睡眠薬を飲んで自殺を図り、そこにまた小沢昭一が呼ばれる。
いろいろと手を尽くす小沢だが、ついに呼吸も鼓動も止まる。
友人の医者小山田宗則に電話で聞くと、「それは死んだんだ!」と宣告され、
小沢は驚いて、高橋の死体を遺棄しようと、小山田の車を借りて東京中を彷徨う。
ここが本来のブラックコメディらしいのだが、表現がもたもたしていて非常におかしいのである。
その上、小沢は廃ビルの中に息して家に戻った後、翌朝またそこに行き、ドンゴロス袋に詰めた死体を引き出して、埋立地に行って捨てるのである。
もし、本当に死んだならすぐに死後硬直が来るはずで、その辺は脚本の辻褄が合っていない。
さらに良心の呵責に耐えられず、警察に申告して、埋立地を掘り返すが、出てくるのはゴム引きの潜水具のみ。
だが、事件は意外な展開を見せる。
死体を引き出して捨てた犯人の浮浪者も分かり、さらに高橋が精神病院にいることが判明する。
小林と小沢が病室に行くが、高橋は記憶喪失で、二人が分からない。
そこに高橋長栄がやって来ると、記憶を回復して抱き合う二人。
小沢昭一は、とりつかれたように地面を堀り返す男になっていて、日比谷公園の芝生を掘っている小沢に注意に来るのは小林桂樹だった。
この映画の原作は、リチャード・スティガーとなっているが、これは須川栄三の変名だろう。
白坂依志夫の本によれば、須川栄三の最初の妻は、大映の端役女優清水谷薫だったが、男出入りの激しい女性で、その性か睡眠薬を多用していた。
ある夜、須川栄三が部屋に戻ると高いびき寝ていて、呼吸がおかしいので病院に運び込むと、すぐに死んでしまったという。
眠薬中毒のとき、やたらに動かすのは死期を早めるそうで、「あのとき俺が病院に運んでいなければ、彼女は生きていたのではないか」と須川は一時期悔やんでいたそうだ。
この体験が、作品のヒントになっているのではないかと私は思う。
ともかくおかしな作品だが、時間的に長いのが最大の欠点だと思う。
通常の作品のとおり1時間32分あるのだが、1時間位に詰めたならば傑作になったのではないかと思う。
高橋紀子は、結構可愛かったが、今婚約不履行でワイドショーで話題の寺田農と結婚して引退したが、寺田とはずいぶん前に離婚したそうだ、今はどうしていられるのだろうか。
ラピュラ阿佐ヶ谷