放浪の画家山下清の戦中、戦後を描くもので、1958年日本映画が最高だった頃の作品である。監督は堀川弘通、主演は先日亡くなられた小林桂樹で、水木洋子のシナリオが素晴らしい。山下清の劇には、芦屋雁之助主演のテレビや映画もあるが、この方がオリジナルである。
小林の母親で大映の三益愛子、旅先で出会う老人で、松竹の飯田蝶子と坂本武が出る以外ほとんどは、東宝の専属の役者たち。
若手女優で、団玲子、青山京子、野口ふみえら、脇役で、一の宮敦子以下、三好栄子、本間文子など。
男も、有島一郎から高堂国典、堺左千夫、佐田豊、谷晃、さらに沢村いき雄まで。
本当に総出演、層の厚さがすごい。さらに、東野英冶郎、加藤和夫の新劇役者も出ている。
ここで描かれるのが、戦中、戦後の日本の下層社会で、無理やり戦争体制に引き込まれている。
一応、みな建前では戦争体制に従順に従っているが、本音では上司がいないときには、仕事をサボり、適当にやる要領で生きている。
要領の悪い知的障害者の小林が、そうした矛盾を明らかにしていく。
一番傑作だったのは、戦争末期、国鉄の駅で乞食の左朴全、長岡輝子と騒ぐシーンで、ここで山下は褌が落ちてフルチンになり、「おかしい人間」として精神病院に入れられる。
勿論、そこも千葉信男等の患者がいて、グロテスクな笑いになる。
ここで、患者の一人が、医者と看護婦に向かって「我々がいなければ、君たちは生きていけない。我々はお客様だ」と叫ぶのがおかしい。まさにそのとおりである。
戦後、浅草の清の家は空襲で焼かれ、一家は共同便所に住んでいて、ここでの家族の会話も大笑い。
軍隊で司令官だった東野英冶郎はヤミ市の物売りになり、えばっていた上等兵南道郎はブローカーになっている。この辺の逆転も面白い。
水木洋子の、戦時中にえばっていた男たちへの批判だろうか。
最後、「貼り絵の個展」で大人気になり、山下が放浪している真岡市に自衛隊が駐屯してくるシーンがある。
はるか遠くから自衛隊の隊列が近づいて来る。特撮かと思うときちんと撮影している。日本映画界に本当に力があったのだ。
「山下清だ!」と新聞記者のコロンビア・トップ・ライトに見つけられ、そこに植木等、ハナ肇らも駆けつけて大騒ぎになる。植木、ハナの映画出演の最初である。
この辺から、クレージー・キャッツらに象徴されるように、娯楽の王様は映画からテレビになって行く。
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