『3分間の女の一生』の作・演出の坂手洋二を一言でいえば、野田秀樹から言葉遊びと陶酔感を除き、その代わりに社会性と政治性、特にマイノリティへの意識を入れるとなるだろうか。
感覚としては、昔のアングラ劇に近く、その性か、彼の劇団燐光群には、「空間演技」にいた鴨川てんしと「オン・シアター自由劇場」にいた中山マリの、古い世代の役者もいる。
私は、坂手の劇は嫌いではないが、苦手の部類に属する。
その劇の本質が、野田とも同様の「屁理屈」の羅列でできているからである。
今回は、竹下景子主演の『3分間の女の一生』で、3分間に関する数分間の様々なスケッチで展開される。
筋は、カップ・ラーメンのイベントで、3分間を「絶対時間」で言い当てた1位の竹下が、2位の円城寺あやにスカウトされ、「3分間本」を書き、ベストセラーになるところから始まる。
竹下と円城寺、さらに中山マリを加えた女性の集団は、次第に拡大し、最後はセミナー施設を持つまでになり、また「わが子を誘拐した集団だ」との反対派も現れる。
この辺は、オウムを想起させる。
最後、円城寺の企みが暴露され、竹下は「広告塔」に利用されたことが分かる。
2時間を疾走する、議論劇の屁理屈はすごいが、少々疲れるものでもある。私の隣の席の若い男は、ほとんどねていた。
結局、この劇で坂手は何を言いたかったのでしょうか。
女性同士のゆるい連帯意識の鼓舞ようなものだろか。
劇中で「21世紀はロボットと人間が芝居をする時代だ」と言うのには笑った。
坂手も、平田オリザ内閣顧問を意識されているのでしょうか。
座・高円寺