1954年に日活で公開された、カメラマン・三村明唯一の監督作品、主演の辰巳柳太郎の他、劇団新国劇の総出演。
原作は井手雅人の小説で、脚本は黒澤明と菊島隆三。
昭和16年夏、ソ連国境の監視哨に辰巳柳太郎が新しい部隊長として赴任してくる。
そこは、満州人の部落もあり、前任の隊長人情家の河村健一郎の方針で、満人との融和を図り、兵隊と満人との様々な交流も上手くいっている。コチコチの軍国主義者の辰巳は、兵士が日曜日に町の慰安所に行くことも許さない堅物で、緩んだ規律に我慢がならない。
秋には、独ソ戦も始まり、関東軍は特別演習をやるなど、開戦の機会を狙っている。
さらに積極的に対ソ戦を画策する満州浪人の島田正吾らは、関東軍参謀の石山健二郎らと謀略を企画している。まるで、今の尖閣諸島のようである。
そんな不穏なときに、野球をやっていた満人の少年が、落ちたボールを取りに川に入ったとき、ソ連から発砲がある。
それを聞いた町の司令部は、これは千載一遇の機会とソ連への反撃を命令する。
だが、川の中州に取り残された少年を救うため、河村は反撃をせず、自ら泳いで中州に行き、少年を救う。すると、ソ連からの攻撃もない。ただの偶発的な攻撃だったのだ。
当然、河村のこの行為は、軍命令違反であり、軍法会議に掛けられることになる。
だが、「軍法会議を開けば、ただの偶発的な事件への攻撃命令の問題の方がむしろ明らかになる」と、石山参謀は、部隊そのものの抹殺しかないと中隊への攻撃を決定する。
その意味では、これは『消えた中隊』ではなく、『消された中隊』である。
交代の部隊が来たと喜ぶ中隊に向かって、日本軍の一斉砲撃が行われ、中隊も村もすべてなくなってしまう。
本部との打ち合わせのため、町にいた辰巳は一人生き残り、戦後は捕虜となってシベリアの収容所に送られていく。
その辰巳の回想で映画は語られる。
軍命令の過失を隠蔽するため、中隊そのものを抹殺してしまうのは、戦争の記憶が生々しかった昭和29年当時では、リアリティがあったと思う。監督の三村明は、41歳で徴兵されており、その他関係者も戦争を経験しており、軍隊にはみな「恨み骨髄」なので、この話は容易に理解できただろう。
だが、今見ると、この程度の問題を隠蔽するために30人以上の兵隊を本当に全滅させてしまうだろうか、との疑問がある。
だが、この作品の中心は、実は黒澤明であり、彼の心情は、そうした軍隊の非情さの暴露にあったのではないと私は思う。
むしろ、この善良な兵隊が全滅してしまい、戦争をけしかけた側にいた自分だけが生き残ってしまった辰巳柳太郎の心情にあったと思う。
この映画の関係者は当然、徴兵されているはずだ。
だが、不思議なことに黒澤明は、一度も徴兵されなかったのである。
この黒澤明のやましさ、悔恨は辰巳の表情によく現されている。
この感情は、黒澤作品では、『静かなる決闘』『醜聞』そして『羅生門』の底流となっている。
そして、その後黒澤の晩年の映画『夢』の第四話での寺尾聡となって戻ってくるのである。
フィルム・センター 黒澤明特集