『南へ』

言うまでもなく、演劇の起源に祭式があり、芝居と言うものには呪術的な要素がひそんでいるものだが、今の日本の演劇で最も呪術的な陶酔に溢れているのが、野田秀樹だろう。
彼の劇は、2時間あまりの内、1時間くらいは様々な人が舞台上で騒ぎまわり、右往左往し、言葉遊び等で笑いが弾ける。
だが、いずれ一人の主人公にスポットが当てられ、その人間が宙空に幻想的な独白をする。
昨年の『ザ・キャラクター』がそうで、あの芝居の宮沢りえに泣かない人間はいないだろう。
その瞬間の陶酔感は、たぶん演劇にしかないもので、これは言うまでもなく唐十郎が状況劇場の芝居で作り出したものである。
このとき、多くの観客は涙にくれてしまうのだ。
もっとも、最近では唐十郎以下ではなく、多くのすぐれた演劇、例えばシェークスピアや真山青果の朗誦劇にも、こうした台詞の陶酔感はあったのではないか、と思っているが。

今回の野田秀樹の芝居も、そうだと思い、いずれその瞬間が来るだろうと始まってから1時間くらいは適当に見ていた。
富士山を思わせる火山の測候所に、新しく赴任してきたという若い男・妻夫木聡がやってきて、嘘つき女・蒼井裕と出会う。
妻夫木の名は、南のり平。
だが測候所所長の渡辺いっけいは、そんな新任者は知らないと言う。
さらに火山の周辺で旅館や土産物店を営む、高田聖子らが、出てきていろいろと騒ぐ。
だが、いくら経っても陶酔的な瞬間は訪れない。
ほんの少し蒼井にスポットライトが当たり、彼女がほんの少し独白をしたが続かず、すぐに終わってしまう。

内容的には、火山の爆発の噂、江戸時代の富士山の宝永大爆発、天皇の行幸の際に自らの身の安全を犠牲にして天皇を守った農民「のり平」伝説、戦争中の特攻隊とハラキリなど、時代と人間は飛躍して止まらない。
北朝鮮を思わせるスパイも出てくる。
題名の「南へ」は、主人公妻夫木の名前である南へのメッセージでもあると同時に、北から南への半島への浸透も暗示しているよう。
だが、最後まで甘美なときは来ずに終わってしまった。

野田秀樹の芝居は、本質的に中身がなく、ただこの陶酔性はすごいので許せるのだが、「陶酔のない野田秀樹など、どこに意味があるのか」と改めて思った。
東京芸術劇場中ホール

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする