「日の当らない名作・名画」特集。
田中徳三が、こんなにいい作品を撮っているとは知らなかった。
話は、岡本綺堂の新歌舞伎『番町皿屋敷』の「お菊と播磨」で、要はお菊と青山播磨の悲劇のである。
田中徳三は、喜劇が多い人で、シリアスな映画は少なく、多くはどれを見てもどこか手抜きのような感じがしたものだが、これは全く違う。
冒頭に加賀藩主前田公・名和宏の能の舞があり、その拙さに大欠伸をした旗本の城健三郎(若山富三郎)が、「無作法な振舞」とのことで、切腹を命ぜられる。
この辺から、その緊張感は、森一生の名作『薄桜記』を思わせる。
『薄桜記』は、市川雷蔵と勝新太郎の友情を描くものだったが、これも雷蔵と勝新太郎の兄・城健三郎との友情が悲劇の発端である。
城健三郎を殺された旗本の若侍たちは、白柄組を結成し、江戸城下を闊歩し、ある日加賀藩の行列と出会い、大喧嘩になってしまう。
どちらの味方もできない幕府の閣僚は、和解策として、いやいやながらも白柄組の中心となっていた雷蔵に対し、前田公の遠縁の姫との婚姻を迫る。
実は、雷蔵は町娘上がりのお女中の藤由起子と将来を誓った仲だったのだ。
見合いの席で、話を蹴った雷蔵だが、藤は、誓い合った雷蔵が心変わりしたのかと思い込み、青山家の家宝の皿を割る。
「過ちならば仕方ない」と一度はお菊を許した播磨だが、自分が藤を裏切ったのと思われたのは心外で、さらに二人の先行きも悲観し、お菊を切り、自分も切腹する。この辺はよく理解できない心理だが、雷蔵の凛々しさと藤の美しさで論理を超えて納得させられるのはすごい。
岡本綺堂の新歌舞伎劇は、所謂「大正ヒューマニズム」の「物や金、地位などよりも人間の心が大事」というもので、今見るとかなり違和感があり、歌舞伎で見ると変な感じがするものだが。
藤由起子とは、勿論藤由紀子で、言うまでもなく田宮二郎と共演した後、結婚して引退した。
藤は、憂い顔の大変な美人だったが、元は松竹にいて、テレビ映画『人間の条件』への出演を強く希望して、松竹とトラブルになり、退社後に大映入りした。
時代が映画衰退期だったので、これと言う作品がないが、良いときにいれば十分名作に出たに違いない。
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