鈴木清順が結婚していた

監督の鈴木清順88歳が、結婚していたことが新聞、テレビ等で大きく報道された。
別にどうということもない話だが、おかしいのは、映画『チゴイネルワイゼン』や『歌う狸御殿』の、と書かれていることだ。

多分、書いた連中は、そのくらいしか見ていないのだろう。
だが、私たちにとって、鈴木清順と言えば、まず『けんかえれじい』であり、『東京流れ者』、そして『野獣の青春』であった。

私が、1966年に早稲田大学映画研究会に入ったとき、誰からだかは忘れたが、すぐに言われたのは「鈴木清順は見ておけよ」だった。
勿論、すでに蒲田パレス座の3本立てで、1960年代初頭の鈴木作品を見ていたので、当時公開中の『東京流れ者』を見て満足したが、次の『殺しの烙印』には参った。
はじめ見て、何のことかさっぱり分からなかったからだ。
だが、どこか引かれて、当時はまだ沢山あった下番の映画館に行き、全部で9回見た。
武蔵新田東映で、鶴田浩二のヤクザ映画と3本立てで見たりもした。

この『殺しの烙印』は、筋は簡単だが、シークエンス間の飛躍と、画面のグラフィックな構成が激しい映画で、それに拘っているとわけがわからなくなってしまう。
要は、別角度から表現したのだ、と軽く考えればよいのだが。
「こんなわけの分からない映画を作る監督はいらない」として、日活の堀久作社長が鈴木をクビにしたのも、ある意味で批評としては当っていたわけだ。

昔、黒澤明が大映で映画『羅生門』を撮り、大映で試写が行われたとき、永田雅一社長は、
「高級だが、なんかわけの分からんシャシンやな」と言ったそうだ。
これは、永田の無智を証明するように引用される台詞だが、あの映画のテーマは、人間の、そしてこの世の分からなさを描いているので、永田の感想は大変正しかったのである。
この作品の人間の行動、思考の分からなさには、その直前に黒澤明も一員として活動した「東宝ストライキ」での、裏切り等が反映しているのではないか、というのが私の考え方だが。

この分からない映画に対する、永田と堀の差は、根っからの活動屋・永田雅一と、株屋で政商の堀久作との違いである。
鈴木清順には、新妻の内助の功を得て、さらにわけの分からない新作を作ってもらうことを願うものである。

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